なぜ、利益を上げる必要があるのか


現代社会では、利益は絶対的であり、利益を上げるのは、当たり前な事だという考え方が強い。では、なぜ、利益を上げる必要があるのか。損失のどこに問題があるのか。翻ってみて、利益とは何で、どの様な役割をしているのか。突き詰めてみると明確にできる人はあまりいない。それでいて、多くの人は、利益を絶対視する傾向が強い。

一つは、利益どの様な基準で判断したらいいのかである。多くの人は、利益は、金儲けの指針ぐらいにしか考えていない。金儲けだから、利益を上げなければ意味がないと安直に考えている。もう一つは、生産性の基準という観点からしか利益を捉えていない。利益を上げる事と生産性をよくする事とは同じ事だと思い込んでいるのである。

なぜ、利益を上げる必要があるのか。損失のどこが悪いのか。現代社会では、利益を上げるのは当然であって、損失は悪だという事を頭から決めつけているように思う。
利益は、収益から費用を引いた値、前期総資産から当期総資産を引いた値、前期純資産から当期純資産を引いた値として計算される。

利益は、差額勘定であって利益に、実体があるわけではない。

利益は、単位期間内における資金の働きと資金の過不足の関連を表す指標となるからである。損失は、資金の働きに対して資金不足を表している。現金収支だけでは資金の出納と残高は明らかになるが資金の働きとの関連は解明できない。しかし、利益は、指標であって現実ではない。現実に資金が不足している事を意味しているわけではない。
経済は、利益が最終目的ではない。

では損失のどこが悪いのか。これは、損益が基本的に収益、即ち、売上を柱にして成り立っている事を意味する。この点が重要なのである。収益に基づかなければ、いずれは、経済破綻する。これは、企業のみならず、家計も、財政も、国家も同じである。

経済が分配のための仕組みだと考えると利益は、利益だけ見ればわかるという類のものではないことが明白である。利益は、費用対効果を測定する為にある。
利益は、収益と費用の関係から生じる。利益は、適正な費用を維持する為に必要な指針と考える事もできる。
今日の経済は、利益だけが目的であるように錯覚している人が多くいる。利益は、指標であって、経営は、利益を上げる事が目的なのではない。根拠や理由が明らかで一過性であれば損失が出てもおかしくないのである。

利益に対する誤解が経済をおかしくしているのである。

経済の仕組みの第一の目的は分配である。ところが現在は、生産に重点がある。
分配の手段は、取得である。故に、経済の基本は、所得を全ての国民に公正に分配する事にある。公正に分配するための主たる基準は、働きにある。問題は、働きを何によって評価するかなのである。評価する基準としては、成果物、時間、貢献度、必要性などである。

評価の仕方によって報酬が変わり、意欲に差が出て生産性を変化させるのである。

問題なのは、格差の拡大であって、一方において使い切れない余剰がありながら他方において生きていけないほど困窮する者がいる状態が悪いのである。

経済が分配であるという事は、経済の根幹は、生産にあるわけではなく、働きと所得にある。
つまり、適正な所得をいかに確定するかが経済の主要な課題なのである。

一人の働きによって何人を養う事が出来るかが根本にあって、働きを所得に置き換えると、一人の所得によって何人の生活の面倒を見る事が出来るのかの問題に変化する。
利益は、この延長線上にある。




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