会計は思想である

 会計は思想である。故に、会計基準は、根本に社会的合意がある。即ち、歴史的事象であり、自然現象とは違う。この様な会計基準が資本主義の根底を成している。

 会計は思想である。自然の法則のような現象を観察して導き出される法則とは、根本的に性格が違う。会計は、経済現象の上に形成された従属的な言語である。会計があって経済があるわけではない。
 故に、会計は、経済の本質を変えることはできない。しかし、経済の有り様は変えられるのである。会計は、経済の状況を誘導することが可能である。
 資本主義は、その会計制度を基にして形成された思想である。

 経済は、数学である。会計は、集合である。会計は、加法、乗法に関して群である。会計は、日々行列演算を業務として繰り返している。

 会計が数学的に解析されていないのは、数学者の怠慢である。その怠慢によって人類が被った損害、災害は莫大なものである。それを考えると数学者の怠慢は、人類に対する犯罪行為に近い。
 数学と会計と経済が統合した時、経済は科学となるのである。

 数学が役に立たないと言う者がいるが、それは数学が役に立たないのではなく。数学者が役に立たない研究ばかりをしてきたからである。数学こそ、人類を救う手段なのである。

 貨幣経済では、貨幣の運動が経済的な力を生み出し、国家や企業、家計と言った経済主体の仕組みを動かしている。
 この様な貨幣は、電流のように流れることによって力が伝達され、静止している時は、潜在的な力としてのみ働いている。
 即ち、貨幣は、流れてることによって力が発揮されるのであり、通常は、経済主体に留まっているわけではない。貨幣は、経営主体を絶えず通過して流れていて、一瞬たりとも止まっているわけではない。
 企業の決算報告書、損益計算書、貸借表に記載されている数値は、見かけ上の数値であり、そこに記載されている数値と同量の現金があることを意味しているわけではない。

 企業の仕組みを実際に動かしているのは、貨幣である。しかし、その貨幣の供給や回収を決めるための判断は、会計情報に基づいて成される。故に、会計情報は重要なのである。貨幣と会計、それぞれの役割、目的を理解しないと経済政策に齟齬が生じる。

 企業の会計制度は、丁度、自動車の速度計、燃料計、や飛行機の高度計のような装置で、企業の実態を計測するための仕組みである。ガソリンの残量ような現物を直接表示しているのではない。計測した値を一定の尺度によって変換し、その結果の値を表示する装置である。ただし、速度違反を取り締まる根拠は、速度計にあるように、経営者の行動規範を規制する根拠は会計基準にあるのである。

 企業というのは、会計原則に基づいて組み立てられ、生産と分配を目的とした、現金で動く仕組みである。企業を動かすのは現金だが、企業を構成する要素は、人と物である。
 貨幣の動きばかりを見ていたら人と物の動きは把握できない。いくら見かけ上の数値がよくなっても雇用が減退し、財の流れが悪くなれば景気は悪化する。

 間違ってはいけないのは、企業を動かしているのは資金だが、資金を供給するか、否かのは判断は、会計情報に基づいて為されているという事実である。
 故に、単純に資金を供給しただけでは、企業は正常に作動しないのである。
 補助金や借入保証は、資金を供給するためには有効な手段だが、それだけでは、現行の貨幣経済は正常に機能しない。企業が適正な収益があげられるような市場構造であって始めて企業は健全に機能するのである。収益が改善されることによって始めて企業は、正常に機能するのである。

 貨幣価値は、取引によって発生する価値である。取引によって貨幣が市場を循環することによって市場の内部に貨幣価値による圧力が生じる。その圧力によって経済価値は保たれるのである。貨幣が市場に循環しなくなれば、忽ち、圧力が減少し、経済は、活力を失う。

 現金というのは、貨幣という形で現れるが、その本来の働きは運動によって発揮されるのである。
 借入金の残高は、現金を調達した量、また、将来、支払う義務のある現金の量を意味している。

 減価償却のような、内部取引は、仮想的取引であり、取引としての実体があるわけではない。この様な仮想的取引は、必要に応じて設定されるものである。

 企業経営を構成する資金には、長期的資金の動きと短期的資金の動きがある。そして、長期的な資金の動きと短期的な資金の動きを各々別個の性格のものとして分けて考えたのが期間損益である。
 長期的な資金は、固定的な部分とし、短期的な資金を変動的な部分を構成すると設定するのである。固定的な部分を定数とし、可変的な部分を変数とする。そして定数と変数との関係を関数として設定するのである。そして、長期的な資金の有り様と短期的な資金の有り様を分けて考えるのである。
 問題となるのは、この固定的であるべき資金が何の前触れもなく流動的な物に変化してしまうことである。

 経済政策を施行する際、重要なのは、前提条件である。何が原因によって、どの様な市場の状況が現出したかである。必ずしも好況だから良い状態だとは断定できない。景気が過熱している場合もあるのである。
 馬鹿の一つ覚えのように競争、規制緩和と競争を煽ることだけが、唯一無二の政策だと硬直的に決め付けるのも危険である。重要なのは前提条件である。
 企業収益の悪化によって不況になった場合は、規制を緩和し、競争を煽ることではなく。市場の規律を取り戻すことである。

 実物市場に吸収しきれない資金は、行き場を失って仮想的市場を作りだし、自分達に作りだした仮想市場へ流れ込む。仮想的市場の対象としては、不動産市場や資本市場のような投機的市場が最適なのである。その典型がサブプライム問題である。
 それが過剰流動性をもたらし、バブルを引き起こすのである。バブルを生み出す市場は実体を持たないから実体と著しく乖離する破綻する。即ち、実物市場と仮想市場は連動していないと破綻する。しかし、バブルを引き起こしている市場は、見方を変えるとハイパーインフレを起こしている市場である。故に、経済は、破綻するか、ハイパーインフレに陥るしか抜け道がなくなるのである。

現在資金の量ばかりが問題とされているが、重要なことは、資金の流れる方向である。企業収益が改善されて始めて実業に資金は流れるのであり、企業収益が改善されなければいくら資金を供給しても実物経済に資金は流れず、回収側、即ち金融側に資金は流れる。
それが資金市場に大量に資金が流れ込む結果を招くのである。資金市場とは、金融、先物、資本市場を指す。

 現代の経済は、いわば血栓ができて血液の通りが悪くなっているようなものである。血栓ができて資金の通り道がふさがり、その結果、金融市場や先物市場に貨幣がたまり、膨張し、最後に破裂するのである。いわば経済の脳梗塞のようなものである。

                    


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