ギリシア.



 大前提は、第一に、全ての部門を正とすることも、全ての部門を負とすることもできないと言う事、第二に、全ての国を黒字にすることも、全ての国を赤字にすることもできない。第三に、正と負は、空間的に均衡しているという事である。
 即ち、経済の問題は構造的なのである。

 入る国もあれば、出る国もある。全ての国が出すばかりでは成り立たない。全ての国が入れるばかりでも成り立たない。

 経済を構成する部門は、家計、企業、政府、海外に区分できる。そして、資金を投入する部門によっても経済効果は違ってくる。
 個々の部門を構成する会計的分野は、負債、資本、収益、資産、費用の五つの分野である。資金を注入する部門は、これら五つの分野の他に資金繰りがある。資金繰りとは、資金の流れを意味し、資金繰りに資金を注入するというのは、資金の流れに直接資金を投入することである。

 資金を注入する部位には、負債、資本、収益、資産、費用、資金繰りの別がある。そして、どの部分に資金を注入するかによって効果にも違いが生じる。
 例えば、負債に資金を投入すると効果は、間接的で、効果が効いてくるのに時間がかかるが、反面、効果が現れる範囲は、広範囲に亘る。それに対し、収益や費用に直接、資金を注入した場合は、効果は、直接的で即効性はあるが効果が及ぶ範囲は限定的なものになる。されに資金繰りに補填した場合、応急的な処置としては効果が期待されるが、損益には影響が現れず。効果はその場しのぎになりやすい。

 家計、企業、政府、海外の各部門に資金を配分する働きをするのは、費用と利益である。費用は、消費に直結し、利益は資本の一部を形成する。費用は付加価値であり、その付加価値の原資は収益に求められる。収益の規模が、付加価値の規模を制約する。故に、適正な配分を行うためには、一定の収益が確保されなければならない。景気が良くならないのは、安定的で、適正な収益と所得が獲得できないからである。

 費用は付加価値によって構成され、消費されることによって、所得に転化される。

 費用は、消費を意味している。経済行為は、消費される事によって完結する。

 だからこそ、消費の在り方から経済を見直す必要がある。

 個々の部門に資金を投入する場合、個々の部門のどこのに資金を投入するかが、重要となる。
 例えば、家計における負債に注入する手段は、住宅ローンに対する減税、収益ならば、子供手当や年金と言った手当、費用ならば、扶養者控除といった税制上の優遇処置と言った事が考えられる。
 企業ならば、収益に対して公共投資や減税、或いは、状況に合わせて規制を強化したり緩和する事である。資金繰りに対しては補助金等がある。
 政府機関ならば、収益に対して増税、費用に関しては、公共投資の削減、行政改革、給付金の削減、資金繰りに関しては国債の発行などがある。
 海外には、負債には、資金の貸与があり、資金的には、海外援助、投資などがある。貿易収支を調整するためには、関税がある。資金の流出入を制御するのは金利差である。貿易収支と資本収支が為替を変動させる。

 注意しなければならないのは、資金の働きには、必ず、双方向の作用があるという事である。
 しかも、双方向の働きは、家計、企業、政府、海外の部門に対する働きと、負債、資本、収益、資産、費用の分野に対する働きがある。
 例えば、子供手当は、家計の所得に対する正の働きと政府の費用に対する負の働きがある。国債の発行は、中央銀行の資産と負債を増やすと同時に、政府の資産と負債を増やす働きがある。

 景気対策を施行する場合は、資金の出所と向かう先が鍵となる。市場を拡大する目的で投入した資金も返済に向けられればかえって市場を縮小してしまう。

 資金の源は、中央銀行である。施策の資金源は、政府、企業、家計、海外の四つの部門のいずれかにある。政策に基づいて資金を導入する場合は、突き詰めると、どの経路を使って資金を流すかの問題となる。

 所謂、失業保険、年金、手当と言った給付金の問題点は、本質が不労所得であり、その資金源が政府機関であるために、財政の負担を増大させる点にある。

 ただいずれの場合でも収益は、中心的役割を果たす。収益に一旦還元されなければ経済行為は表に現れてこないからである。

 財政を抑制する必要性は、国債の発行が通貨の発行量に直接影響するからである。

 国債残高の水準は、通貨供給量(ベースマネー)、通貨残高(マネーストック)に反映する。又、通貨の価値は、国債残高を担保する事によって維持されている。

 資金の流れは、貸借上に止まっている限り、その効力は、発揮されない。収益に還元され、費用に転換されることによって、はじめて、交換という機能を発揮し、分配という役割、働きを果たすことが可能となるのである。

 結局どの部門を正とし、負として調整するかの問題であり、そして、全体の振幅幅をどの程度に抑えるかの問題なのである。負債が是か、否かの問題ではない。

 自国が国際市場の中で、時間的に空間的にどの部位をとるかの問題である。
 各国が、無理矢理自分だけが優位な立場をとろうとすれば、戦争になる。

 国家の借金は、駄目。民営企業の利益は、搾取だ。費用は限りなく少なくすることが良い。貯蓄をすることは善である。競争は、不可侵の原理で規制は悪だから全て撤廃すべきだ。公共投資は何が何でも駄目と決め付けている限り景気は良くならない。

 国民国家ならば、どんな国にしたいのかの国民的合意を前提としなければならない。
 経常黒字国と経常赤字国は、補完的関係にある。この関係をどう構造的に維持するかが重要なのである。資金の世界的な循環をどう制御するのか、それが問題なのである。

 その好例がギリシア問題である。

 ギリシアは、観光立国を目指すべきであり、最大の資源である観光資源を有効に活用することしかない。
 良質な自然や人類の遺産を資源とする以上、開発型の活用ではなく、自然や文化を生かす事のできる観光開発を目指すべきである。その為には、高品質のサービスをいかに確立し、維持するかが重要となる。その鍵はギリシア国民の自国の文化に対する誇りが鍵となるのである。
 
 ギリシアのような産業が乏しい国は、単に緊縮財政をしただけでは財政は改善しない。収益の立つ方策を講じることが鍵になる。
 ギリシアの最大の資源は、観光であり、観光資源をいかに活用するかが、成否を握っている。その為のモデルとなるのは、モナコやマカオ、シンガポール、香港、或いは、ハワイやバリ島と言った国々である。
 自然破壊や投機的事業の伴う大規模な開発型ではなく、歴史や伝統、遺跡などを基礎とした良質な娯楽を提供できれば、目処がたちます。
 オリンピックや文明の発祥の地でもあり、哲学と言った学芸の宝庫でもある。ギリシアにとって歴史や文化こそ資源なのである。

 今日本では、財政赤字が積み上がり、深刻な社会問題として騒がれている。騒がれているが、財政のどこが、どうして悪いのか、どうしていいのか、明確な答があるわけではない。ただ、このまま、放置すれば、累積赤字が途方もない数字になってしまう、(或いは、既にとんでもない数字になってしまているのかもしれないが。)事だけは確からしいと言うことだけが政治家も国民も薄々感じているようである。
 なぜ、、どうして、どこが財政状態をこんな状態にしているのか。又、どうすれば、改善できるのかは、財政を現金主義から期間損益に置き換えてみないと判然としない。ただ、収益構造、又は、貸借構造に何等かの欠陥があることは明らかである。そして、それが貨幣の流れをおかしくしているのである。
 財政の問題は、貨幣の流れの問題である。貨幣の流れを方向付けている仕組みの根底を成すのは税制である。
 期間損益によって貨幣の流れの歪みを明らかにした上で税制の根本を変える必要がある。

 税は、現金主義に基づくか期間損益に基づくかによって体系が違ってくる。
 現金主義に則った場合、どの局面にどの様に、どの程度かけるかによって効果が違ってくる。
 同様に、期間損益主義に基づく場合は、負債、資本、収益、資産、費用のどの局面に、どれだけ税を課すかが重要となる。

 民間非金融部門への貸付が少ないという事が問題であることが解る。しかし、誰もその原因を問題にしようとはしない。民間非金融部門への貸付が少ない原因は、民間非金融部門に投資意欲がないという事と金融機関が民間非金融部門に対し有望な投資対象がないからである。
 投資意欲がないのも、有望な投資対象がないのも、共通していることは、収益の見通しが立たないことである。

 規制をなくし、会計をいじくり廻し、競争を不必要に煽って収益が上がらないようにしておいて、景気が悪いと言っても始まらないのである。
 特許や著作権のような知的所有権にしてもブランドにしても権利が護られているから利益があげられるのである。俗にコモディティ産業が構造不況業種と言われるの様な状況に陥るのは権利が守られていないからである。自分達の権利が守られていながら、他人の権利を否定するようなことは戒めるべきである。

 経済の仕組みの役割は、物の流れと所得の公平を保つことである。物の流れは、物資、資源の偏在に起因し、所得の公平な分配は、雇用を維持する事によって実現する。つまり、生活に必要な物資は偏在しているのに、仕事は、公正に割り当てられなければならない。その均衡を保つ仕組みが経済の仕組みなのである。

 経常黒字が是か、非かを問題とする前に、どんな国にしたいのか。何によって立国するのか。それを明確とすべきなのか。資源を輸出するのか、又は加工貿易に頼るのか、観光資源に立脚するのか、金融センターに徹するのか、国家の中核となる産業を何にするのかが核心なのである。その上で経常収支の状態を構造的に分析すべきなのである。
 先ず、国家観がなければ、具体的な施策は立てられない。国民国家ならば国民的合意が前提となる。

 経常黒字国と経常赤字国は、補完的関係にある。この関係をどう構造的に維持するかが重要なのである。資金の世界的な循環をどう制御するのか、それが問題なのである。




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