価     格



 一人の日本人として3月11日の大地震に対する各国の暖かい声援に対して深く感謝します。
 神の力は、人間の思惑など遙かに超えている。
 大規模な災害に遭うたびに、災害の影に人間の傲慢さが隠されている事を思い知らされる。
 神を否定する者は、自らを神と崇めるようになる。人間は、傲慢になっていた。人間の傲慢さは哀しい。
 人間は、神に対して謙虚にならなければならない。
 ただ、金儲けを目的とするのではなく。何が人間を幸せにするために必要なのかを明らかにして、その上で経済の仕組みを構築する必要がある。

 テレビのワイドショーで石油産業の規制が緩和されたことで、ガソリンスタンドの収益が過当競争によって悪化し、その結果、ガソリンスタンドの廃業が増え、ガソリンスタンドがない市町村が増えていると言う報道があった。将に、レポーターは、ガソリンスタンド難民だと嘆くのである。
 それを聞いてコメンティターの一人が規制を緩和することで収益が悪化するのですかと叫んだ。この程度の認識で、規制緩和、規制緩和と金科玉条のように言われたのでは無闇に規制を緩和された産業はたまったものではない。

 規制を緩和すれば、産業や個々の企業の収益力は、低下する。個々の企業の収益力が低下することで、機械化や、合理化、集約化が促進する。故に、機械化や合理化、集約化をすることによって対外的な競争力を養成する必要のある産業に対しては、規制を緩和すればいい。
 しかし、機械化や、合理化、集約化は、雇用を圧縮する作用があることを見逃してはならない。
 つまり、機械化や合理化、集約化を必要としていない、或いは、雇用を促進させたい産業に対しては、規制を強化することが効果的なのである。

 特に、流通業のような労働集約的産業は雇用の要であり、市場を規制によって保護しないとすぐに市場が荒廃してしまう。

 何が何でも規制を緩和し、競争の原理を導入すればいいと言うのは暴論なのである。

 国民所得(収益)を増やしたければ、企業の数を増やすことである。そうすれば、雇用も増える。流通を合理化すれば、それだけ、雇用は減少し、社会全体の所得(収益)も減少するのである。中間業者が増えれば、それだけ、収益も雇用(所得)も増えるのである。

 低価格、即、経済性というのは、錯誤である。この様な認識は、費用の効用に対する正しい認識が欠如していることによるのである。
 価格には、消費者における支出という側面の他に、生産者における費用と言う側面がある。生産者の費用は、めぐりめぐって、消費者の所得に転じるのである。つまり、価格は、支出と所得という表裏の関係を内包しているのである。

 大切なのは、何を競わせるかなのである。価格を競わせる産業もあれば、品質を競わせる産業もある。サービスを競わせる産業もある。デザインを競わせる産業もある。技術を競わせる産業もある。性能を競わせる産業もある。メンテナンスの競わせる産業、速度を競わせる産業、味を競う産業もある。ポリシーを競わせる産業もある。環境や省エネルギーと言った社会的貢献を競わせる産業もある。安全や信用を競わせる産業もある。研究や開発を競う産業もある。競争の基準は、ただ安ければ良いというだけではない。
 いずれにせよ、かかった費用をどの様に評価するかが重要なのであり、価格は中立的であるべきなのである。単純に価格に転嫁すれば、例えば、研究や開発にかかった費用負担の少ない企業が有利に立つことは明らかなのである。又、安全に対する費用や信用に関わる費用を削除すれば目先の利益は上がってくる。また、初期投資が大きく固定費が大きい産業は、目先の利益を求めて安売り競争に陥りやすい。悪貨は、良貨を駆逐するの法則が働くのである。

 費用というのは常に悪者扱いを受ける。しかし、費用こそが経済の原動力なのである。費用を裏返せば所得であり、消費である。所得と言う事は分配である。つまり、費用を削減することは、所得や消費を削減する事を、同時に意味するのである。安直な費用の削減は、所得や消費の偏りをもたらす。それが問題なのである。

 経済的合理性というのを単に利益の追求だというのは間違った思い込みである。経済は、単に金儲けを意味するのではない。又、物の分配だけが問題なのではなく。所得の分配も重要な経済の役割なのである。

 産業の性格は、費用の構造によって制約される。
 人件費の比率の高い産業は、労働集約的な産業であり、減価償却費の比率が高い産業は、設備集約的な産業である。原材料費が高い産業は、原材料の相場や為替の相場を受けやすい産業である。又、固定費と変動費の比率は、産業の損益構造の前提となる。

 ただひたすらに費用を削減してしまえば、費用の効用が働かない産業になる。費用の効用とは、分配である。つまり、社会的な分配機能が働かない産業になるのである。
 重要なのは、適正な費用の配分であって費用そのものを否定する事ではない。

 費用の効用を認めずに、費用を削減することばかり考えると結局実物経済を否定する事になる。
 そして、費用を掛けずに収益をあげる手段に活路を求める。費用を掛けずに、収益をあげる手段は金融と投機しかない。
 儲かるか儲からないか予測のつかない実業にかけるより、ある程度、金利計算が可能な金融商品に比重を移した方が投資家を説得しやすい。
 それがバブルを生み出す一因となり、又、金融危機の一因でもある。つまり、実体の伴わない貨幣の動きを生み出すのである。

 費用というのは無駄な出費を意味するのではなく。費用こそが経済の根幹をなす要素なりである。この点を正しく理解していないと経済を在り方を見誤ることになる。今日の経済が停滞する最大の理由は、費用を過剰に削減してしまうことにある。






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