資金循環



 経済における負の部分を有効に活用しようとしたら、負の部分、即ち、マイナス面ばかり考えるのではなく、プラス面も考えるべきなのである。なぜならば、会計上、経済現象は全てプラス、マイナスゼロだからである。

 負債や資本によって調達した資金を資産に投資して、それを収益によって回収した上で費用を通じて分配をする。
 大事なのは、資産、負債、資本、収益、費用、五つの要素の調和である。例えば、資産が劣化する事で負債との調和が崩れ、その結果、収益が圧迫されて費用に廻す資金が滞り、慌てて、資産を売却したり、或いは、長期資金の調達が困難になると途端に経済は破綻するのである。

 企業経営では一般に資産を活用して、収益を伸ばすことを考える。そうしなければ企業の成長は見込めない。費用や借入金をただ、削減することばかりを考えていたら、未来への投資は縮小し、社会的責任も果たせなくなる。

 この事は国家財政も同じである。国家資産を活用して国家収益を計るべきなのである。単に費用や借金を削減することばかりしていたら、資産は死蔵され、市場は、縮小し、経済の成長は停滞して、借金の負担は増すばかりである。
 国家収益という観点から国家財政は捉え直す必要がある。国家も儲けるべき時は儲けるべきなのである。

 商売と経済が結びついていないことが問題なのである。
 世の中には、金を儲けることは賤しい行為だという価値観が根強くある。
 商売は、どこの国でも卑しめられてきた。まるで、取引をすることは犯罪行為であるかの如く見られてきた。士農工商と日本では、商売人は最下層に位置付けられたのである。

 利益をあげることが悪いとされたら、経済道徳など確立しようがない。
 権力者は、金儲けが悪いと言うより、ただ頭を下げて金儲けをするのが厭なだけだ。だから、脅したり、力尽くで金を奪い取ろうとするのだ。
 それでは財政が良くなるはずがない。

 会計空間においては、一次元的空間と論理式が重要になる。
 経済主体とお金との関係は、基本的に入金と出金と残高なのである。資金は残高がなくならないように調整することが鍵になる。
 この様な動きは、必然的に一次元的な運動となる。
 入力と出力が鍵を握っているのであるから、入口と出口が問題となる。
 資金の入口と出口が解れば、その次ぎに大切になるのが、資金の流れの経路、型を掴むことである。どこから入ってどこへ出ていくのかが解れば資金の流れの概要がつかめるからである。
 この事から収益と総資本と利益の割合と変化、及び、費用と総資産の割合と変化が重大になる。
 要するに、どこから資金を調達し、どこへ流すのか、即ち、分配するかの問題なのである。
 そして、単位期間内に営業活動を通じて調達し、消費される部分を期間損益に反映し、将来の収入と消費に備える資金を貸借の部分に仕仕分けるのが期間損益である。
 故に、損益の部分は、資金の流動部分を貸借の部分は、資金の供給部分を表す。即ち、損益によってフローが、そして、貸借によってストックの部分が形成される。
 資金の流れを分析する際には一次元的な捉え方が、仕分ける時には、論理式が威力を発揮する。
 一次元的世界とは、一車線の道路のような世界である。つまり、渋滞学的世界なのである。

 資金の流動性は、密度と流量によって定まる。資金の流れの密度は、回転率から求められる。資金の流れの密度で重要なのは、臨界密度である。

 問題は資金の流れである。資金の流れをどの様に捕捉し、又、制御するかが経済を制御する鍵を握っているのである。

 輸出を視点を変えてみれば、財を円で売って、ドルで買うということであり。その為に、円を買ってドルを売る事でもある。逆に、輸入は、財を円で買って、ドルで売ることを意味し、その為に、円を売ってドルを買うのである。
 日米で日本が経常黒字を続ければ、ドルが蓄積されていく。
 ドルや円の相場は、円とドルの需給によって決まる。円とドルの需給は、本来は、経常収支によって左右されるのである。
 しかし、単純に、日本の経常黒字が続けば、円が一方的に上昇するというわけではない。経常収支は、為替相場を決定するための重要な要素ではあるが、経常収支だけで為替相場が決まるわけではない。
 問題は、為替相場や経常収支が国内の物価や財政にどの様な影響を与えるかである。それを予測するためには、資金の流れる量と経路をしっかりと把握することなのである。そして、資金の動向を知るためには、資金の流量と速度、密度が重要な要素となる。

 経済の基本は、労働と分配の仕組みである。労働と分配を支えているのが生産と消費であり、その結果として需要と供給関係が生じる。最初に需給関係ありきではない。
 経済で決定的なのは、生産量と通貨の流通量と需要である。生産量は、供給力によって制約を受け需要は、消費量によって決まる。

 インフレーションもデフレーションも、バブルも、恐慌も、不況も、貨幣が引き起こしている現象なのである。貨幣がなければ、インフレーションも、デフレーションも起こらない。要は、貨幣が問題なのである。
 また、忘れてはならないのは、貨幣は、負の存在だと言う事である。

 今、問題なのは、物の経済ではない。人の経済でもない。貨幣の経済なのである。
 だから、貨幣経済では、貨幣が重要なのである。勘違いしてはならないのは、貨幣経済と言えども貨幣だけで成り立っているわけではない。ただ、貨幣経済で問題となるのは、貨幣の働きだということである。そして、皮肉なことに、貨幣経済で問題となる貨幣の働きが生じるのは、貨幣が全てだと錯覚することにある。

 多くの人は、貨幣価値に絶対的な価値を見出そうとするが、貨幣価値は相対的な価値である。貨幣価値を絶対視するから間違いが生じるのである。
 貨幣価値は、貨幣価値単独では成り立たない。貨幣価値が指し示す対象があって成り立つのである。貨幣は、交換手段であり、また、貨幣は交換価値を表象した物にすぎないのである。

 キャッシュフローというのは、貨幣が流れた痕跡を意味する。
 我々が、一般に抱く「お金」に対する印象は、お札や、硬貨、即ち、物としての実体を持つ貨幣である。しかし、今日、自宅に金庫を備えてお金の現物である現金を蓄えている人は稀である。
 では、大量の現金はどこへ行ったのか。それは金融というシステムの中で流れているのである。

 賃金は、預金口座に振り込まれる。そして、必要に応じて預金口座から引き下ろされて支払に使用される。支払われて「お金」は、支払先の事業体の収益となる。事業体の収益は、費用として支払われる。支払われた費用は、支払先の収益となる。この様な資金循環が生まれる。
 それに対して、借入金の返済は、費用としては計上されずに、金融機関の貸付金(資産)を減少させて、現金等(資産)を増加させる。この取引では、金融機関の負債も収益も直接的には、変化させない。そして、市場に対して資金は、逆流するから資金の循環を阻害する事になる。

 今や現金は物としての実体が稀薄になり、情報となって経済を動かすエネルギーと化しているのである。
 だから、現在の経済を知るためには、貨幣の流れ、つまり、キャッシュフローが重要となるのである。




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