因果関係



 何と何とが相関関係にあるのかを見出すことが要素間の関係を明らかにするための始まりである。

 相関関係の中でも因果関係が重要である。何が原因で、どの様な結果が得られるかを明らかにすれば未来が予測できるからである。

 因果関係が成立するのは、要素が何等かの作用によって結び付けられている場合に限る。また、時間的な順序関係が明らかである場合である。
 連動して変化しているからと言って因果関係が成立するとは限らない。

 要は、決済するための資金が指定日までに用意できなければ破産するのである。それは、国家も、民間企業も、家計も同じである。

 通貨の流通量は、供給量と回転数によって決まる。要は、収入と支出が単位期間内に何回転するかである。

 どの様な機関が、どの様にして、通貨の流通量の増減に関わっているのかが重要となる。どの様な機関が、どの様にして、通貨の流通量の増減に関わっているのかを知るためには、何を明らかにすべきなのか。それが貨幣の流れる道筋を示してくれる。

 紙幣には、政府紙幣と銀行券がある。
 どちらの紙幣も法的通用力、強制力があるという点で共通している。その為に、混同される場合が多い。しかし、両者には本質的な差がある。
 政府紙幣は、時の公的権力のみ紙幣の信用を保証するものであり、政府の負債としては認識されない。
 それに対して、銀行券は、発券銀行(中央銀行制度では、中央銀行)が保有する金融資産を担保とし、発行額は、発券銀行の負債勘定に計上される。
 銀行券は、当初、銀行が準備した正貨(本位貨幣、金本位では、金貨や金地金)を担保として発行された一覧払いの約束手形であり、銀行が手形を割り引いいたり、社債を購入する代金と支払われることによって発券銀行以外の金融機関に供給され、償還期間を経て発券銀行に回収された。
 その意味で、銀行券とは、発券銀行によって発行された無期限の約束手形のようなものだと言える。

 それを明らかにするためには、主要貨幣である。紙幣の発行量を誰が決め、又どの様な仕組みによって制御しているのかを知る必要がある。

 通貨の流量を知るためには、紙幣をどの様な機関が、どの様な機関を使って、どの様な手段で市場に供給するのか、その仕組みが鍵を握っているのである。

 紙幣に政府紙幣と銀行券の二種類があり、その働きや発行の仕組みが違うとしたら、政府紙幣の発行と回収の仕組みや手続、銀行券の発行と回収の仕組みや手続が構築されることで通貨の供給と制御が可能になる。また、発行と回収の仕組みと手続をどの様に設計するのかによって、通貨の供給と流量の制御の仕方が違ってくる。思想というのは、その設計思想を言うのである。

 銀行券の発行量は、正貨保有量を根拠とすべきだという考え方と、発券銀行の裁量に委ねるべきだという二つの考え方がある。
 現在の日本では、銀行券の発行量は、発券銀行の裁量に委ねることを原則としている。

 銀行券の発行量は、中央銀行に委ねられていると言っても無原則に発行できるものではない。銀行券を発行するためには、銀行券を発行するための仕組み、手続がある。
 日本の場合、一つは、中央銀行に金融機関が当座預金をしてその預金を引き出す際に銀行券を供給する。もう一つは、国債を中央銀行が買い取ることで銀行券を発行する。前者の場合、固定預金の量の総計が上限となり、後者の場合、国債の残高が上限となる。
 前者の場合、紙幣の流通量が前提となり、後者の場合、国債の発行残高が前提となる。

 現実には、銀行券は、政府が、直接発行して市場に供給するのではなく、中央銀行が発券した上で、中央銀行を中核とした金融制度を使って、貸付金という形で市場に供給される。
 その場合、紙幣の流通量の測定は、単位期間に発行される銀行券の量だけでなく、市場における回転数を加味して成されなければならない。つまり、紙幣がどれだけで市場に供給されたかではなく、紙幣が単位期間内どれだけ流れたかを知る必要があるのである。
 なぜならば、貨幣は、静止した状態では、その効力を発揮しないからである。貨幣は、流通することによって効力を発揮する。つまり、一定期間にどれくらいの通貨が、流通したかによって貨幣の働きは測られるべき値だからである。
 故に、通貨の流通量は、供給量と回転数によって分解される。

 通貨の流通量は、供給量と回転数によって決まる。要は、収入と支出が単位期間内に通貨は、何回転するかが重要な意味を持つのである。

 経済の状態を予測するためには、貨幣の働く具合を知る必要がある。貨幣の状況を知るためには、まず、何を明らかにすべきなのか。

 紙幣は、政府が、中央銀行を核とした金融制度を使って、貸付金という形で市場に供給する。その場合、紙幣を市場に供給する回転数が単位期間における貨幣の供給量を決めるのである。

 通貨の供給の仕組みに関しては、道具としての国債と通貨、主体としての発券機関と政府、金融機関との関係を明確にすべきなのである。何を担保として紙幣をどの様な仕組みによって市場に供給するかを明確にする事、それが、通貨の流量を制御する上で不可欠なのである。

 ユーロのように複数の政府機関が連合して形成されている経済体制では、発券銀行と発券銀行以外の銀行の機能をどの様に位置付け制度を構築するかが、重要となる。
 つまり、どの様な機関が通貨の供給量を制御するかが重要となるのである。それは同時に国債や公債の処理の仕組みの重要性も意味する。(例えば、中央銀行が、国債を担保にして紙幣を発行する等)
 そして、制度と手続の透明性をいかに保障するかが鍵となる。なぜならば、金融制度は、即ち、信用制度でもあるからである。

 貨幣の状況を知るためには、資金の市場への流れの入口と出口を捉えておく必要がある。それは、貨幣の供給口と回収口である。
 貨幣の供給口は、中央銀行と政府がある。

 貨幣の流通量を明確にするためには、中央銀行から金融機関への流れも把握しておく必要がある。
 貨幣の供給と回収をおさえたら次ぎに、明らかにする必要があるのは貨幣の流通量である。
 その為には、日銀当座預金残高、預貸率などを知っておく必要がある。更に重要なのは、ベースマネーである。

 その為には、マネタリーベースを知る必要がある。
 マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」
 IMF金融統計マニュアルでは、マネタリーベースとは、中央銀行および政府の通貨制負債であり、通貨、信用を増加させる基礎となる金融手段と定義されている。
 その為には、マネタリーベースを知る必要がある。
 マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」
 IMF金融統計マニュアルでは、マネタリーベースとは、中央銀行および政府の通貨制負債であり、通貨、信用を増加させる基礎となる金融手段と定義されている。(日本銀行調査統計局)

 次ぎに国債の流通量である。

 中央銀行制度は、中央政府が国債を発行したら、中央銀行は貨幣を発行する。中央政府が国債を発行したら、その国債を担保にして中央銀行が、市中銀行に貨幣を貸し付けて、紙幣を供給する。中央銀行制度では、国債の売り買い、貸し借りを通じて貨幣の流通量を調節するのである。
 故に、国債の発行残高、国債の内訳(長期国債、短期国債、外債)借り換えを除いた国債の発行高を調べる事が通貨の供給量を知る上で必要になる。
 中でも、総量とその内の借り換え債の比率が重要となるである。
 更に、外貨準備高を明らかにする。なぜならば、短期国債には、為替介入の様な特定目的のための「政府短期証券(FB)」と歳入を補うための「割引国債(TB)」の二種類があるからである。

 資金の働きを知るためには、長期資金と短期資金を分けて考える必要がある。長期資金と短期資金は、資金の流動性に関係してくる。

 経済主体は、第一に、「家計」。第二に、「企業」。第三に、「政府」。第四に「海外」に分けられる。
 また、経済活動は、第一に、「支出(需要)」。第二に、「生産(供給)」第三に、「収入(所得)」の三つの側面からなる

 全体を0とすると個々の部分は、全てが0にならない限り+があれば−もある。全ての国の経常収支が黒字になることも、赤字になることもない。必ず、黒字と赤字が混在し、その総和は、0になるのである。
 全ての通貨価値が上昇することはない。上昇する通貨があれば必ず下降する通貨がある。
 全体は、一で、総和は0という関係に核心がある。そして、この関係を構成する方程式に経済の基礎構造は現れる。
 一国全体で見れば、総所得、総生産、総支出は一致する。

 GNP(分配)=消費+貯蓄
 GNP(支出)=消費+投資+経常収支
 故に、貯蓄−投資=経常収支

 民間貯蓄投資バランス+政府貯蓄投資バランス=海外貯蓄投資バランス
 (家計貸借−家計投資)+(民間企業貸借−民間企業投資)+財政収支
    +資本収支+外貨準備増減=0

 財政収支=(税収+税外収入)−歳出

 政府貯蓄投資バランスというのは、財政収支に他ならない。

 財政赤字になると政府部門は、資金不足だと判断されるが、しかし、政府部門は、資金の供給源だと言う事も忘れてはならない。市場が拡大すれば、必然的に資金の供給量も増やさなければならない。逆に、市場が縮小すれば、資金の供給も減らす必要がでる。問題は、資金の供給の増減が原因で市場が拡大したり、縮小したりするのか、それとも、市場が拡大したり、縮小したりすることで資金の過不足が生じるのかである。どちらが是か否かの問題ではなく、何れの場合も考え得る。ただ、重要なのは、市場の規模と貨幣の供給量が不適合な場合である。

 単年度均衡予算主義というのは、常に、
 (税収+税外収入)−歳出=0にすると言う事を意味する。
 しかも税収と税外収入は不確定な上に歳出は、法的手続によって予算として事前に確定している。
 こうなると、財政は、一旦赤字になると黒字化することが技術的に困難になる。

 歳出=政府最終支出+公的固定資産形成+公的在庫品増加
    =行政費消費+公共投資
 歳入=歳出
 歳入=税収+税外収入+国債
 財政収支=国債

 つまり、財政収支は国債を意味するのである。

 財政が本来の機能を果たすためには、第一に、単年度均衡予算主義を止める。第二に、現金主義から期間損益主義に変更するか、期間損益主義を併用する。第三に、税外収入を増やす。第四に国債の一部を資本化する。国債の一部を資本化することによって紙幣の発行量の上限を確定する。

 また、貯蓄投資バランスを問題とするならば、経常収支ではなく。資金の流れを表している資本投資を基準とすべきである。

 又、民間企業の収支から貸借と損益は、導き出される。

 (家計貯蓄−家計投資)+(民間企業貯蓄−民間企業投資)+財政収支=経常収支

 経常収支と資本収支、外貨準備高の関係である。
 経常収支+資本収支+外貨準備高増減=0
 経常収支=貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支
 資本収支=直接投資+証券投資+金融派生商品+その他投資
        +その他資本投資
 貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支
  =直接投資+証券投資+金融派生商品+その他投資
        +その他資本投資+外貨準備増減

 重要な前提は、世界全体で見ると経常収支の総和は0になるという事である。まず、この経常収支は、全体は一つ、総和は0という関係を前提としなければならない。

 家計部門+企業部門+財政部門+海外部門=0が成り立つ関係式が重要なのである。
 この様な関係式と経常収支が世界市場ではゼロサムだという関係式を結び付けると世界経済の図式が明らかになってくる。

 家計の貸借+企業部門の貸借+企業の貸借+海外部門の貸借=0
 この根本には、貸し借りは均衡しているという前提がある。
 同様に、家計収支+企業収支+財政収支+経常収支=0
 誰かの収入は他の誰かの支出になる。誰かの支出は、他の誰かの収入になるからである。
 貸すというのと、借りるというのは、貸す側から見ると金を貸し出すと言う意味であり、借りるというのは、借りる側から見て借り受けるという意味です。支出は、払い手が払い出すという意味で、収入は、受け手が受け取るという意味である。つまり、貨幣が流れる方向が違うと言うだけで結局、同じ運動を主体を代えてみているだけなのである。
 また、ゼロサムが成立する関係では、前期−当期もゼロサムが成立する。

 個々の部分をそれ自体で均衡させようとすると貨幣は流通しなくなり、経済は活力を失う。なぜならば、貨幣を流通させているのは差なのである。
 問題は、関係が恒常的な関係が、一時的な関係かである。経常赤字の国と経常黒字の国の関係が恒常的なものだとすると赤字も、黒字も一方的に累積することになる。
 この事は、家計と政府と企業と海外の関係においても同様である。

 そのうえで、資金の流れを知るためには、総所得の内訳を知る必要がある。

 総支出を見方を変えると総所得になる。故に、総支出からの流れを知るためには、総所得の内訳を知る必要がある。
 更に貨幣が流れる過程をおさえるためには、次ぎに、総生産の内訳を知る必要がある。

 注意しなければならないのは、必需品が供給不足に陥ることである。なぜならば、インフレーションやデフレーションは、人、物、金の需給の不均衡によって引き起こされるからである。貨幣が過剰に供給されただけでは、インフレーションが起こるとは限らない。

 更に、財政状態を知るために、歳入と歳出の内訳を知らなければならない。財政の入口は歳入、出口は、歳出である。再配分の働きは、市場の偏りを是正することにある。
 歳入は、税収、税外収入、国債からなる。
 歳出は、公共投資、行政費用。国債の利払いと返済からなる。これらによって資金の流れを掴むのである。

 例えば、歳入の回数が年に一回なのに対して、民間経営主体の収支と家計の収入は、年間12回を基本としている。これは、資金の回転の回数の基礎となる。又、経営主体の決算の場合では、収入ではなく、収益になる。

 全ての国民が公務員になるか公務員をゼロとするかの間に適正な値はある。これは、比率の問題である。

 冷静にその国の地理的条件、資源、経済環境を分析してその国に適した産業構造を構築することなのである。

 資金の流れは、総ての量と流量と残高として現れる。
 損益は、流量を表し、貸借は残高を表している。貸借は、残高主義である。
 総額は、流量を表している。
 純額は、流量から残高を差し引いた値である。

 量的拡大は質的変化をもたらす。
 市場の成熟に伴って少品種大量生産型から多品種少量生産型へと質的な変化が求められるのである。
 
 費用を構成する要素が製造に関わる要素からサービスに関わる要素に質的な転換を図ることが重要になる。又、費用の変化に伴って産業も単純労働から熟練労働へと質的な変化をすべきなのである。

 ところが現代の市場経済は、この様な変化から見ると逆行している。生産性や効率性ばかりを追求する結果、労働から人間性を排除しているのである。それは、量から質への転換がうまくいかずに、換えって量的な効率のみを追求した結果である。

 生産財の市場と労働市場を同一視するのは、危険な思想である。大体、労働市場と言うが、市場と言っていいかどうかも解らない。労働市場と今言われている場は、組織的、体系的市場であり、相対取引の場とは明らかに異質である。
 また、労働は、質の違いの問題が大きい。労働は、単純労働に還元できない部分を持っている。又、互換性がある労働とそうでない労働がある。又、単位時間と言った何等かの基準によって一律、一様に測定できるものでもない。
 労働は、単純労働だけではなく。ある程度の経験や熟練度を要する労働、又、専門知識や技術がなければ出来ない労働、個性を要求される労働、資格や免許を必要とする労働、肉体労働と知的労働、あるいは、定型的な労働と不定型な労働と、労働の成果は、一律、一様に評価測定することが困難なものである。又、労働の成果は、主観的な評価による部分も多い。
 ただ単に労働を量として捉えているだけでは、労働の本質は理解できない。労働は、量と質から捉えるべきものであり、単位時間×作業時間と言った単純な関数に置き換えることは出来ないのである。

 月、50ドルで生活できる国と5,000ドル稼がなければ生活が成り立たない国とを同じ基準で測ることは馬鹿げて事である。
 ところが、産業によっては、同じ土俵で争わなければならなくなる。
 それで公正な競争云々と言ってもはじまらないのである。重要なのは、競争するにしても同じ条件で競争できるようにしなければ公平とは言えない。
 とくに、ローカルな市場を土台とした産業では、一定の条件を競えるように市場を設定しておくべきなのである。

 少資源国が成り立つ為には、スイス型、モナコ型、ハワイ型、シンガポール型、学園都市型等、特定の型がある。
 スイス型とは、金融や技術立国を言う。モナコ型は、エンターテイメント立国型である。ハワイ型はリゾート立国である。シンガポールは金融と交易を組み合わせた形である。学園都市型とは、大学や知的所有権に基づく立国である。いずれにしても成熟した市場を前提とした産業を構築しなければ、経常収支は均衡しない状態が続くことになる。

 少資源国では、元々、資源による収入が少ないのだから、サービス産業に基盤を置かなければ産業は成り立たない。つまり、小さな政府と活力のある民間企業を基礎として国家を建設する必要がある。
 少資源国が成り立つ為には、日本型、英国型、スイス型、モナコ型、ハワイ型、シンガポール型、学園都市型等、特定の型がある。
 日本型とは、原材料を輸入して加工して輸出する加工産業型国家である。金融を中心にした産業による国の形が英国型である。スイス型とは、金融や技術立国を言う。モナコ型は、エンターテイメント立国型である。ハワイ型はリゾート立国である。シンガポールは金融と交易を組み合わせた形である。学園都市型とは、大学や知的所有権に基づく立国である。いずれにしても成熟した市場を前提とした産業を構築しなければ、経常収支は均衡しない状態が続くことになる。

 政府部門、公共部門の収支は通貨の流通量の総量に関係してくるため、ただ、緊縮財政をとればいいとは決め付けられない。むしろ支出や投資の質が問題なのである。
 物価は、貨幣価値の濃度、密度に関係している。故に、物価は、公共部門の支出や投資の質の影響を強く受ける。
 補助金や年金のような所得の再分配を目的とした支出や投資は、慎重に行われなければならない。拡大再生産に結びつかず、付加価値の増大に繋がらなず、結果的に、所得の転移だけに終わってしまうことがあるからである。
 所得の再分配のような所得の転移を目的とした支出は、分配の効率を高める事に有効である。ただ、所得の転移は、市場規模の拡大や縮小に応じて拡大、縮小が出来ないと財政収支の均衡を損なう危険性がある。

 少資源国では、政府が大きくなりすぎるのは、経済的に好ましくない。なぜならば、政府ま行う仕事は、市場性が乏しく効率が悪いからである。なるべくならば、政府は小さくして、市場を活性化した方が良い。なぜならば、少資源国は、海外の変動の影響を受けやすいからである。環境の変化に柔軟に対応するためには、硬直的な部分を最小限に止めた方が効果的である。大体、単年度均衡主義を財政がとるのは間違いである。景気の変動に合わせて行政は機動的に動く必要があるからである。景気が良くて税収が多い時は、緊縮的政策を採り、景気が悪い時には、拡大的政策をとる事が原則である。つまり、市場の動きとは、正反対の反応をしなければならない。その為には、景気が良くて税収が多い時には、内部留保を蓄え、景気が悪くて税収が好くない時に、資金を市場に放出する必要がある。行政こそ、利潤を追求する必要があるのである。

 ギリシアのような国は、政府を小さくして民間の経済に比重を置く必要がある。

 景気が硬直的になるのは、財政が恒常的な資金不足に陥っていることが問題なのである。その原因は、財政の単年度均衡主義にある。公的機関も、自由主義体制では、利益を追求すべきなのである。
 財政が恒常的に赤字だから景気の変動に対して効果的に財政を発動できない。また、予算主義によって機動的に行動できないために、効果的な施策を打つ時機を失うのである。

 前提は、家計部門、企業部門、政府部門、海外部門の全てを黒字にすることも、赤字にすることも出来ないという事である。そして、市場全体で見ると総和は0になるという事が前提である。つまり、何を黒字とし、何を赤字にするかの問題なのである。

 家計部門、企業部門、政府部門、海外部門の赤字と黒字の総和は等しい。故に、何が赤字で、何が黒字かという点とその総和の幅が重要になる。

 ユーロのような共通通貨体制では、経常収支は、顕在化せずに、資本収支が顕在化する性格がある。

 民営化によって政府部門の赤字を民間に転移し、その上で、経常収支を黒字にするか、あるいは、本を域内から呼び込んで資本収支を黒字にするかである。
 いずれにしても行政コストは、抑えた方が良い。その為には、小さな政府にすることである。又、所得の転移は総生産を増やさないのに財政を硬直化させる傾向があるであるから、拡大再生産が期待できる、特に、公共投資社会資本を充実させるに資金を向けるべきなのである。








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