経常収支




 貨幣経済を動かしている原動力は、現金の流れである。

 経済主体の運動は収入と支出が基礎である。資金の動きが経営主体を制御しているからである。しかし、資金の動きだけでは、経済主体の働きを解析することが出来ない。
 そこで、長期的働きを貸借によって短期的働きを損益によって測るのである。
 期間損益において経営主体を正常に保つのは、収益力である。経済主体の動きを発展させるためには、収益の向上が基本である。つまり、期間損益では、収益が中心なのである。
 そして、収益は、適正な費用によって支えられる。収益を構成するのは費用と利益だからである。

 適正な収入を得るためには、適正な価格を維持することが重要となる。無原則な競争を放置しておいたら、適正な価格を維持することは出来ない。
 収入が安定していることが負の経済の前提なのである。この前提が崩れると経済は安定を欠くことになる。単純に価格は安ければいいとするわけにはいかない。
 なぜならば、支出に結びつかない費用があり、逆に、計上されない支出があるからである。

 現在の収支と期間損益主義の違いは、減価償却費、長期借入金の残高、在庫等に現れる。これらを操作すると現金の流れとは関係のない部分で利益を調整することが可能となる。そうすると名目と実体とが乖離してしまうのである。そして、価格を必要以上に低く設定することが可能となるのである。

 利益を追いかけて費用を極端に削減するのは、経済の目的から見て逆行している。費用に対して適正な価格という視点が失われているからである。

 経済運動の基本は、入りと出にある。つまり、受取と支払の差であり、その差を生みですのは時間である。
 最初に手持ちの現金がなければ支払いは出来ない。元手がなければ、受取が先で支払が後という関係は成り立たない。貨幣経済ではお金が先なのである。お金がなければ始まらないのである。元手は基本的に負債なのである。なぜならば、最初から現金を持っているのは、貨幣の発行元でしかないからである。貨幣経済を成り立たせるためには、貨幣を、先に使い手に渡しておかなければならない。それが負債の本である。ここに負債の性格の源がある。負債と資本が会計上同列に置かれている由縁でもある。負債と資本の根本の性格は同質なのである。

 負債は、先買い後払いの仕組みなのである。
 先買いさせるためには、先に資金を流通させておく必要がある。
 それが、資金不足と過剰流動性の原因となる。貨幣の不足と過剰は、微妙な均衡の基に成り立っている。

 貨幣経済の原点は収入である。収入は、消費と投資と貯蓄に変換される。
 更に、消費は収益に、投資は資産に、貯蓄は負債に変換される。消費は、言い替えれば費用である。
 貯蓄は、負債に転化されて、更に、金融機関によって負債は、投資に変換される。投資は、現金と生産手段を結び付け、市場に現金を供給する。
 投資や貯蓄は、ストックを形成し、消費は、フローとなる。

 はじめに入りがなければ、出は生じない。貨幣経済では、貨幣の入り、即ち、収入が始まりである。
 収入が全ての本になる。収入は、現金の調達を意味する。現金の調達は、収益と負債と資本による。生産財がなければ収益は生じない。故に、最初の資金は、元手によるか、借金によるのである。何れも、債務である。
 収益に結びつくのは、消費であり、費用である。通貨の効用は、消費によって発現する。
 利益は、費用に見合う収益を上げられるか否か測る指標である。収益に費用が見合っているかどうかを測る指標ではない。
 なぜならば、費用は、分配を表しているからである。そして、費用は、実在勘定であるのに対して、収益は名目勘定だからでもある。

 失われた十年などと言われ、不良債権の存在がデフレの原因とされる。
 ただ、気をつけなければならないのは、不良債権の問題とバブルの問題は、裏腹の関係にあるという事である。
 不良債権とバブルは表裏の関係にある。いずれも、名目価値と実質価値の乖離が原因なのである。バブルというのは、資産の名目価値に対して実質価値が上昇し、その結果、名目価値である負債が急激に増加する現象をいい、不良債権は、逆に、資産価値が名目価値に比べて減少した結果として現れるのである。
 このカラクリが理解できないとバブルとバブルが破裂した後の経済状態の原因は理解できない。

 負の経済とは、借金を前提とした経済である。則ち、投資先行型の経済である。又、梃子の原理、レバレッジをきかせた経済である。

 負の経済は金融制度の発展を促し、金融制度の発展は、負の経済の拡大を促す。
 預金と負債は、表裏の関係にある。金融機関にとって預金は、借入金、即ち、負債である。金融機関は、負債である預金を投資に変換するための機関である。

 負の経済が、確立されるためには、定収入が確保されなければならない。ある一定期間、定収入が保証されることで、返済計画、資金計画が立てる事が可能となる。つまり、定収と借金は表裏の関係にある。
 負債の根拠は担保力であり、資源は資産にある。負債の元本の返済資源は、利益にある。利益は、収益と費用の差額である。

 一定の通貨の回転数が保たれないと経済は成長せず利益は、確保されない。利益を生み出すのは、入りの回転と出の回転の差である。時間が利益の本なのである。

 表に現れる経済現象の裏側では、負の経済の働きが隠されている。
 市場経済では、借入金の水準、収益の水準、資産の水準、費用の水準の均衡が鍵となる。水準は相対的なものであり、個々の要素を他の要素と比較することで意味を持つ。例えば、負債と収益、収益と費用、資産と負債、資産と収益の関係が水準の妥当性を決めるのである。
 経営の結果は、負債、収益、資産、費用の上下運動して現れる。この上下運動が一定の周期で繰り返されれば、経営は安定し、将来を予測することが可能である。しかし、負債、収益、資産、費用の上限運動が不規則で、周期が定まらない運動になると経営は混乱するのである。景気も同様である。
 重要なのは、周期、幅、均衡である。
 故に、経済事象を考察する際は、負債、収益、資産、費用の均衡を確認することから始める必要がある。

 負の経済下での運動は、どの経済主体も基本は同じである。しかし、表現の仕方が違う。:経営主体とは、家計、企業、政府、海外である。家計の負債は、他の部門の資産であり、政府の資産は、他の部門の負債である。故に、個々の経済主体の相互の負債、収益、費用、資産の均衡が重要なのである。

 負債の働き、負債の負担には、元本の返済と金利の二つがある。
 負債の負担の内、元本の返済は、表には現れない。表に現れるのは、費用として計上される金利である。ところが、金融危機が表面化すると水面下にある元本の返済を強要されるのである。そして、これが金融危機や不況を深刻化させる最大の原因となるのである。
 元本の返済と金利の負担をなくしたのが資本である。しかし、これでは、資本家には何の得もない。元々、資本家は、経営者に資本を預けたのである。つまり、資本も、本来は借金の一つである。その点を見落としてはならない。資本にも負担はある。それが配当である。

 経常収支と財政赤字は、通貨圏間の問題と、経済主体の問題の違いである。

 経常収支は、基本的にゼロサム取引である。経常収支の赤字国を黒字にするという事は、同時に、経常収支の黒字国を赤字にするという事を意味する。
 第一、ユーロのような統一通貨国間の経常収支は相殺勘定であり、内部的に均衡していれば問題とならない。
 又、財政赤字の問題は、経常収支の問題とは、質が違う。財政赤字は、経済主体間の問題であり、財政赤字は、政府部門の赤字を意味し、財政赤字を解消するためには、家計部門か、民間部門、海外部門のいずれかを赤字にする必要がある。
 民間部門の収益力が低下した時に、金融部門が長期資金の回収に走った結果、民間部門の負債が圧縮され、その反動で、政府部門の負債が増大したことが原因なのである。

 経常収支は、通貨国圏内で均衡していればいい。

 今、採るべき政策は、公共投資を上乗せすることよりも、通貨を供給することよりも通貨を市場に流通させ、回転数を高めることの方が重要なのである。その為に、民間の企業の収益力の向上が最優先事項である。

 財政を改善するためには、公共事業の民営化を促進し、公共投資を抑制する。政府部門の負債を民間部門に、転移、付け替えればいいのである。
 景気を拡大するためには、民間企業間の過当競争を抑制する事で収益を改善し、その上で、民間投資を促進する。







ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2012.12.25Keiichirou Koyano