家 計
あらゆる科学も数学も神の存在証明に過ぎない。
それを神の存在の否定と捉えたり、神と対立したものと捉えているから、科学者は、神を怖れぬ所業を繰り返すのだ。
信仰心なき者は、永遠に孤立する。
神を否定する者と手を組のは神に対する冒涜です。
現代経済の最大の問題点は、人がいないという事ですね。一口に、人、物、金と言いますが、物と金はあっても人が不在だという事が現代経済を不毛にしている。
経済とは、人が生きるための活動です。人がいない経済では、人は生きられない。人が生きられない経済なんてまったく無意味です。
現代の経済が人のためあるのではなく。物や金のためにあるからです。
物を生産するために、人々の生活が犠牲になったり、お金のために、人々が破滅していってします。生産効率は上がっても分配効率が下がったのでは意味がありません。
企業が金を儲けても人々の暮らしが成り立たなくなったのでは本末転倒です。
経済は、本来、人、物、金の調和の上に成り立っている。人、物、金の働きを均衡させようとする事で経済は動いているのです。
経済とは、人生そのものなのですね。
人の経済は、消費、所得、支出から成り立っています。その根本は、労働と分配です。
経済を動かし力は、歪みから生じる。歪みを是正しようとする力が経済を動かしているのである。
歪みそのものを否定したら力は発揮されない。問題は、歪みの大きさ、規模なのである。歪みが大きすぎれば、発生する力によって仕組みを破壊しかねないのである。
ですから、何が何でも差をなくせというのは間違いです。
ゼロサムは、保存則を意味する。
経済を動かす力は、ゼロを原点にして振幅をしている。
その振幅によって貨幣を流通させ、市場を動かしているのである。
例えば、経済取引の総量はゼロサムになる。すなわち、取引で生じる価値の総和はゼロである。問題なのは、取引によって生じる貨幣価値の量の振幅である。貨幣価値の量の振幅は、通貨量を現すからである。
消費や所得、支出にも振幅があります。
支出の種類には、第一に、生きるための支出。第二に、社会のための支出。第三に、自己実現のための支出の三つの種類がある。
支出の性格には、第一に、固定的支出と随意的支出がある。第二に、定期的、不定期的支出がある。第三に、必要不可欠な支出と嗜好的な支出がある。
これらの支出の種類と性格は、消費の種類と性格、貯蓄の種類と性格を形成する。
そして、支出には、周期があります。
支出には周期があり、その周期によって種類が分けられる。支出の周期は、ディリー、ウィークリー、マンスリー、イァリーがあり、さらに、人の一生という長期の周期が加わります。
家計支出も一種類ではなく、支払い形態によって幾つかの種類に分類できる。そして、それぞれの種類によって性格がある。
例えば、住宅の関して家計投資を支出という側面から分析した場合、一つは、借金をして、家を購入する事例である。第二は、貯金をして家を購入する事例、第三は、家を借り続ける事例である。
第一の事例だと最初にお金を借りて一定額を一定期間、支出し続ける事になる。第二の事例、貯金が貯まるまで任意の額を任意の期間、支出し続ける事になる。第三の事例では、流動的な額を恒久的な支出をし続ける事になる。このような支出は、消費に分類できる。
このように、家計投資の支出も幾つかの種類があり、それぞれに、性格がある。
長期的に見ると借金と貯蓄というのは、表裏の関係にある。支出で言えば、借金は、定期預金と対称的な関係にある。違いは、借金は、最初に全額を受け取って一定期間、一定額を金融機関に支払い続けるという形であるのに対して、定期預金は、一定額を一定期間支払い続けて後全額を受け取るという仕組みだという事である。違いは、一つは、借金は、支払いが義務づけられているのに対して、定期預金は、任意だという点である。また、借金が、全額を最初に受け取る事で、財の使用権、所有権と最初に手にする事ができるという点にある。
つまり、お金の所有権を物の所有権に置き換える事になる。お金は流動性が高く、物は流動性が低いという特徴がある。時間価値の差は、物価上昇率と金利との相対的関係によって決まる。
負債と貯蓄の差は、金で貯めるか、物で貯めるかの差であり、いずれにしても、貨幣価値を社会に積み上げる効果があるのである。物の貨幣価値と金の貨幣価値は、各々独立した動きをする。社会に積み上がった物の貨幣価値と金の貨幣価値の差が景気の変動を促す要因となるのである。
このような支出は、安定した収入によって支えられている。
収入にも周期があり、その周期によって種類が分けられる。収入の周期は、ディリー、ウィークリー、マンスリー、イァリーがある。これらの周期によって、日給制、月給制、年俸制、歩合給、出来高給などに分類される。
いずれにしても、収入が安定しないと計画的な支出が成立せず。借金もできない。
そこに雇用の問題がある。雇用の問題には、雇用形態、賃金水準、賃金構造、労働条件、失業問題等がある。
企業や財政では、固定的支出や借入金の返済額は、ある程度、確定的であるのに対し、収入は一定していない。家計においても定収というのは、見かけであり、個人事業者や定職を持たない者は、不景気になるとたちまち不安定になる。失業をしたら収入の道が途絶えてしまう。これが経済の潜在的、かつ、根本的な問題なのである。
このような点を鑑みると景気変動の影響も固定費中心型産業と変動費中心型産業では、違ってくる事は明らかである。一律に競争を促せばいいというわけではない。規制緩和は万能薬ではない。
経済取引は、二つの経済主体の間で成立する。経済取引は、取引当事者間の双方向に作用を及ぼす。一定方向の働きには、必ず、逆方向に同じ量の力が働いている。つまり、作用反作用の力が働いている。取引は、均衡しているのである。
双方向に働く運動とは、例えば、貸しは、借り。売りは、買い。支払いと受け取り。受け、渡しの四つである。経済の運動はこの四つのいずれかを指す。そして、受け、渡し以外は、金銭の関係した働きを示している。
また、これらの働きによって貨幣の流れと逆方向の財の流れか、又は、貨幣の流れと同量の債権と債務が派生するかの、二つの事象のいずれかが、取引を介して成立する。前者を売買取引と言い。後者を貸借取引という。
貯蓄は、金融機関にとって負債の増加であり、借入金の返済は、資産の減少を意味するのである。
この点を理解しないと金融危機の原因は解明できない。つまり、景気が悪化したとして貸付金を強引に回収する事は、金融機関にとって資産を圧縮する事を意味する。逆に、預金を増やす事は、負債を増加させる事になる。貸付金を減らし預金を増やす事は、金融機関の経営を圧迫する働きがある。
注意しなければならないのは、金融機関の収益は金利によってもたらされるのであり、貸付金ではない。貸付金は資産だという点である。貸付金が返済されれば金融機関の資産が圧迫される。又、貸付金を返済された結果、預金が増えるという事は、金融機関にとつて負債が増える事を意味する。そして、余剰の資金を資産市場によって運用する事は、バブルを発生させる原因となるのである。
また、国債というのは、国の借金だという事ばかりに問題にするが、国債を買う側からすれば、貯蓄をするというのと同じ働きを持っている事を見落としてはならない。つまり、国債は、貯金の一種だともいえるのである。
つまり、社会全体で見れば、消費と借入金の返済額、貯金の支出に占める割合、および、消費、借入金の返済額、貯金の経営主体(家計、財政、企業、海外)ごとにそれぞれが全体に占める割合が重要なのだという事である。
国家目的を明確化しておかないと財政は、利権や既得権によって硬直化しやすい。
財政的収入を歳入と言い。財政支出を歳出という。
歳出には、固定的支出と一時的支出がある。一時的支出には、投資と臨時的支出がある。投資は、収益によって賄われる。臨時的支出は、貯蓄によって賄われる。固定的支出を賄われなくなったら、財政赤字は累増する。
一時的支出は、一過性の性格を持つ支出であり、財政の骨格を変えてしまう場合がある。臨時的支出は、財政の次元を変えてしまう恐れがある。臨時的支出は、戦争とか、災害といった事象である。
財政赤字は、投資と費用が未分化な事に原因がある。つまり、期間損益が確立されていないために、利益が上がっているか否かの判断もつかないのである。
企業は清算できるが、国家を清算するわけにはいかない。
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