今、何が大切なのか
あなたは、神を信じていますか。
これは根源的質問です。
あなたは、自分で、自分の事を許せますか。
これは本質的質問です。
他人の罪を許すことは難しい。
しかし、他人の罪を許すことより、なお、難しいのが自分が犯した罪を許すことだ。
自分を許すことができないから、自分の罪を認め、悔い改めることができないのである。
自分で自分のことを許す為には、自分を超越した存在を必要とする。
それが神である。
故に、人は神を必要としている。
人は常時、善悪の世界にいる。しかし、神は善悪を超越した存在である。
他人の善と悪とを直接知ることはできない。
なぜなら、人は、自分を装い、偽ることができるからである。
何を、善とし悪とするかは、自分の問題である。
他人が何を善とし、悪とするかは、推し量る以外に手立てはない。
真か偽かは、神の問題ではない。なぜならば、神は、装う必要も偽る必要もないからである。又、何を真とし、何を偽とするかは、自分が主体的に判断するしかない。
つまり、何を真とし、偽とするかは、主観の問題である。真か偽かは、神の問題ではなく、自分の問題である。
何を罪とするかは、最終的には、自分の問題なのである。
日本人は、第二次世界大戦を自存自衛の戦いだったという。中国人や韓国人は、侵略戦争だったという。日本人にとって確かに、自存自衛の戦いだったとしても戦場にされた国の国民が侵略だと言えば、侵略戦争なのだろう。
しかし、自存自衛と言い、侵略と言ってもそれは人間の世界の問題であり、神の世界に元々国境だの領土だのはない。空を飛ぶ渡り鳥たちに国籍など関係ないのである。
領土問題は、欧米では、取引の問題だが、アジアでは、歴史の問題である。
歴史的問題では、妥協点は見いだせない。なぜならば過去程不確かなものはないからである。
領土問題を歴史に基づいて話し合い妥協できる事ではないではない。歴史は解釈の問題であり、領土問題は実利の問題だからである。
大体、歴史によって領土問題を解決することはできない。結局、歴史問題は平行線をたどるだけである。
領土問題を解決するのは、最終的には力である。しかし、日中韓が三つ巴になって戦えば、極東の力の均衡は破れる。その結果、泥沼の争いになることは目に見えている。また、アメリカも無事ではいられない。アメリカも、争いに巻き込まれざるを得ないくなる。アメリカにとってそれは、国防戦略を根底から覆してしまう程の大事である。今、三国が果てしない戦いをすることは、人類にとって破滅的な事態を招く事は容易に予測がつく。
中韓、韓日、中日、いずれの間にも領土問題がある。反日で中韓が結束してもそれは一時的な問題である。問題は思想である。
重要なのは、各国の国益である。何が国益なのかを政治家は、よく熟慮すべきである。妥協点のない争いを続けて戦争に持ち込むことが国益に叶うことか。よく考えるべきである。
各国の国益を護りつつ、各国が妥協できる形を作る以外にない。大切なのは形である。それぞれの国には互いに認める事のできない一線がある。認められるところと認められないところを互いに明確にしながら、形を作ることが重要なのである。
時には、沈黙することも重要な意味を持つ。
一番愚かなことは、些細な偶発行為によって世界中を巻き込んだ破滅的な戦争になることである。
人類は、今、狭い小部屋の中で爆弾を手にして言い争っている様な状態なのである。誰かが、爆弾の起爆装置を作動させたら、誰も生き残ることはできないのである。次の世界大戦に勝利者はいない。
戦争の理由など、神の世界には無縁である。人類を、戦争によって悲劇的な状態にしたのは人間なのである。
歴史、歴史と言うが億千年もさかのぼれば、国境など跡形もなく消え去ってしまう。
領土など、神から奪い取ったようなものである。
歴史は、所詮、人間が作り上げたものだ。
記録も又人間が作り出したものだ。
領土を争うのは、人間の都合に過ぎない。
歴史から何を学べというのか。
歴史から学べることは、人類の愚かしさだけである。
我が国の為に戦って死んでい人々を私たちは、悪し様に罵ることは許されない。
なぜならば、彼等がなぜ、何の為に、誰の為に戦い、死んでいったかを知っているからである。
我々にできることは、思想や哲学を糾すことだけである。
たった一発の爆弾によって十数万人の日本人の命が一瞬にして失われたのである。
その悲劇を日本人は訴えることさえ許されない。
しかし、日本だけでなく、中国でも、韓国でも同じような悲劇があったのは事実である。大切なのは、過ちは過ちとして互いに認識する事である。
罪のない人々がわけもなく殺戮される、この様な非道な殺戮をこれ以上、神は、お許しにはならない。
我々人類は、この様な愚行に終止符を打つべき時が来たのである。
人類は、結束して環境問題や食糧問題、人口問題を解決していかなければならないのである。
終戦の折、天皇陛下は、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えと国民に自制を促した。
今、日本人も、中国人も、韓国人も豊かになった。豊かになったことで忍耐力を失おうとしている。
豊かになれば忍耐できるはずなのに・・・。人類は、結局、豊かになったことで、神への恐れを失ったのである。
神を否定する者は、自らを神とする。
自らを神とする者は、誰からも許されない。
人は、幸せな時、神を侮り。不幸になると神を罵る。
しかし、神は、神だ。
神を、必要としているのは、人間であり。神は、人間を必要としていない。
仮に人類が滅亡することがあったとしたら、それは、自らの罪によって裁かれ、滅びるのである。神故ではない。
人が争いを望んでいるかぎり戦争はなくならない。
神の名の下に戦争をするのは止めようではないか。
神は戦争を望んではいない。
神に答えを求めるべきではない。
答えを出すのは人である。
神に答えを聞くべきではない。
答えを出すのは、自分である。
自分が答えを出すからこそ結果に対して責任が終えるのである。
神は何も語らない。ただ神はお示しになるだけである。
人を生かしているのは、神の愛である。
もう一度お聞きします。
あなたは、神を信じますか。
あなたは、自分で自分の事を許せますか。
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures
belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout
permission of the author.Thanks.
Copyright(C) 2013.7.2Keiichirou Koyano