経済とは、人が生きていく為の活動





経済とは、人々が生きていく為の活動を言う。
人々が生きていく為に必要な日々の営みを経済という。
経済とは、人々の生活を豊かにし、幸せにする事を言うのである。

そして、経済は、人々を幸せにする手段である。

経済とは、生きる為に必要な物を生産、或いは、調達し、それを分配することである。

この様に考えると、経済の本質は、生産と分配と消費である。

経済は、拡大均衡と縮小均衡を繰り返しながら、一定の水準に均衡しようとする性格がある。
その水準を定めるのは価格である。

経済を動かしているのは、振動と均衡である。
均衡とは、ゼロサムである。
公的主体、民間主体、家計主体、交易部分の収支の総和は、ゼロになる。
また、一定の期間内において収支はゼロになるように設定されなければならない。

その意味で、黒字が善で赤字が悪だというのは、馬鹿げている。
要は、主体間において一定期間内でいかに均衡させるかの問題なのである。
黒字や赤字が硬直的になる事が問題なのであり、赤字だから悪いというのではない。
要は周期と振幅幅の問題なのである。

市場は、投資によって資金を供給し、消費によって資金を回収するという運動によって資金を循環させている。

投資には、資金の調達と運用という二つの働きかせある。調達は収入(所得)となり、運用は支出となる。

最初、政府が紙幣という形で国民に借金をして資金を調達し、公共事業をする。紙幣の担保として金を保有することを義務づけるのが金本位制である。紙幣を発行するのに際して、一般に、最初は金の様な実物を担保とする。国民から国家は、紙幣という形で借金をすることで、紙幣を市場に供給する。
又、政府は、金融機関に国債を買い取らせて資金を供給する。最初はそのために急速に資金が市場に出回りインフレーションを引き起こす。
投資は、国家から民間企業へ、民間企業から家計へと順次、転移していく。
ある程度、紙幣が市場に出回ると国家は、国民に対する借入を国債に切り替える。
紙幣の原形は国債であることを忘れてはならない。

現金の流れは、血流と言うよりも電流に近い。
経済主体間を現金が移動する時に派生する波動によって経済は機能するのである。
現金が過剰に流れる時は、負が増大する。負が増大している時は、景気は過熱する。

格差は、所得より生じる。

所得というのは借入によらない収入、言い換えると、借入を除いた収入を言う。

取得に対する消費、貯蓄の比率が鍵を握っている。。
市場に流通する紙幣の量が市場に対して一定水準に達すると紙幣に対する需要が低下する。それは、所得に対する支出と借入、そして、貯蓄の比率として現れる。
即ち、所得+負債=支出+貯蓄という恒等式が成り立つ。そして、それが可処分所得を構成する。

人は、労働の対価として所得を得る。所得の根源は労働と資産である。

経済を貫く基準は所得である。
所得は、労働の評価であると同時に、分配の為の原資となるからである。
所得は「お金」で支払われることで収入となる。

労働は、生産力の源であり、収入は、分配の原資である。
故に、労働と収入を繋ぐ所得こそ経済の基礎となるのである。

所得は、一人一人の働きを基準とし、分配の原資である。
地域間、主体間の格差は、人口と生産性によって生じる。この格差をどの様に修正するかが、経済における最大の課題なのである。
この格差の基となるのが所得である。

所得格差は、世の中の不公平の原因となり、貧困の原因ともなる。
格差が悪いのではない、格差の原因が問題なのである。

例えば、個人の所得を抑えれば、企業の利益率は上がるが、企業の利益率が上がっても社会全体の収益はよくならない。個人の所得を無原則に上げれば、企業の収益や競争力は低下する。市場では、本来、個人の所得と企業収益が適合する水準に収束しようとする力が働くはずなのである。

貨幣というのは数値情報である。数値情報であるが故に、貨幣価値は数値としての働きをする。それが物や人の情報と違う点である。物や人には実物的な裏付けがあってそれが数値の働きを抑制しているのである。それに対して、貨幣は、無制約に数としての働きを発揮する傾向がある。
経済で重要なのは調和である。

経済的な調和は、人と物と金を調和させる事である。
経済的なもう一つの調和は、取引の対称性にある。

人、物、金は、各々独立した空間を形成する。
金は、更に、現金主義に基づく場と損益主義に基づく場を形成する。

物は、物の場にあり。そして、金は、事の場にある。人は、物の側面と事の側面の両方を持つ。
物は、一つ二つと数えたり、何らかの尺度で測る事のできる空間である。事の空間とは、数の体系を準備する空間である。人は、物と事とを仲介する主体である。
人には、人口という物としての側面、労働という働きの側面、所得という事の側面を持つ。
物には、生産力という制約があり、有限の世界である。
金は、貨幣の供給の仕組みの問題であり、無限の世界である。
貨幣の流れは、循環的であるのに対して物流は直線的な流れである。

人と物と金の調和するとは、基本的に比率によるのである。
人、物、金の場は、各々独立していて場を構成する要素は完結して、時間的に連続しているからである。
例えば、生産財の構成は、物の場において均衡している。人は、人の場において均衡している。金は金の場において均衡している。

物は、生産力によるのであり、労働量と設備、資源、そして、天候のような外的環境、そして、貯蔵力による。貯蔵は、生鮮食料を冷凍するような貯蔵技術による。この様に物理的な特性に左右される。

人で言えば、人口、労働人口、所得の均衡である。人口は、消費力であり、労働人口は、生産力であり、所得は分配力である。

故に、人の場における構成比率と物の場の構成比率とお金の構成比率とが経済の状態を決定づけるのである。

調和とは、それぞれの場を結びつけた上で安定させる事にある。
生産財と人とを金銭取引、お金の遣り取りを介して結びつけ生産財を分配するのである。

比率には、主体間の遣り取りの比率もある。主体間には空間的な構成と時間的な構成がある。
そして、それらの均衡の指標は、期間損益の利益によって測られる。つまり、ゼロサムの関係である。

経済的なもう一つの調和は、取引の対称性にある。
取引は、二つの経済主体間で行われる。取引には、基本的に二つの種類がある。つまり、売り買いと貸し借りである。そして、二つの主体間において取引は、対称的である。
つまり、売り買い取引は、売り手と買い手があって成立する。そして、売り手と買い手では、売り買いの取引は、表裏を為している。取引が成立するという事は、同量の金銭の遣り取りが派生するのである。
貸し借り取引は、更に、同量の債権と債務が生じる。
つまり、取引は、売り手と買い手との間では均衡していてゼロサムの関係にあるのである。
ゼロサムというのは、市場全体では総和が取引のゼロになるという事を意味している。そして、それは、経済主体間の総和もゼロになる事を意味している。黒字主体があれば赤字主体がある。その赤字主体と黒字主体をどう調和させるかが、経済問題の本質なのである。黒字が是で赤字が否としたら、問題の本質が見えなくなる。
そのためには、空間的均衡と時間的均衡をどう計るが、重要なのである。
恒常的に黒字な主体ならば債権は累積し、恒常的に赤字の経済主体は、債務が積み上がる。

又、会計上の関係は、ゼロサム関係である。それに対して、現金や物の均衡は、ゼロサムではない。マイナスが計上されないからである。
現金収支と期間損益では、均衡や調和の意味が違うのである。

経済の仕組みとは、物を生産し、循環させる物の仕組みと市場から資源を調達する権利、即ち、現金を分配する仕組み、そして、市場から生きる為に必要な資源を調達して活用する仕組みの三つの仕組みから成り立っているのである。

三つの仕組みの中で物を生産する仕組みや人を組織は、世界を一つの仕組みに統制する事は不可能である。世界を一つの仕組み統制できるのは、「お金」の仕組みである。
ただ、現金を決済する仕組みと損益を測る仕組みの会計は、別である。

キャッシュフローや物の流れの基本は、出、入、残、そして、貸し、借りである。
「お金」であれば、収入と支出、そして残金であり、過不足は、貸し借りで補う。残高は、貯蓄と見なされる。
キャッシュフローと物流の場は、自然数を基本とした場である。

物で言えば、生産と消費と在庫である。
現金で言えば、収入と支出と残金である。物も現金も0以下の値はない。

又、均衡のあり方は、拡大均衡の局面か、縮小均衡の局面かにもよる。

拡大均衡は、支出より収入の方が大きく負債が増加している状態であり、縮小均衡は、収入の方が支出が大きく、貯蓄が増加している状態を言う。

単位期間の損益を見る場合は、短期的収支だけでなく、長期的収支も勘案すべきである。

経済を保つのは均衡であり、経済を動かすのは、不均衡である。

均衡によって保たれる。
均衡には、空間的均衡と時間的均衡がある。
又、均衡には、拡大均衡と縮小均衡とがある。

均衡は、ゼロサムによって実現する。

即ち、貨幣価値は、ゼロサムを前提として成り立っている。

整数の世界でゼロサムを均衡点としている期間損益では、黒字が是で、赤字が否なとしたら経済は調和しない。黒字と赤字が均衡する事で調和が保たれているからである。
そして、期間損益では、空間的均衡と時間的均衡ととの調和が鍵を握っているのである。空間的均衡は、経済主体間の均衡である。これらの均衡は循環によって成り立っている。
経済主体とは、企業と財政と家計と国家である。
赤字主体が悪いというのではなく、赤字主体と黒字主体が固定的で調整できない事が問題なのである。
この様な均衡と不均衡を調和させるのは、重要なのは、振動である。

経済現象を分析する上で、重要な鍵を握っている事は、何が等(ひと)しいのか、何を均(ひと)しいとするのかである。






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