収入が経済の基本
現在の経済学は、経済を貨幣的現象としてしか認識していない。
しかし、経済学は、本来、よりよい生活を如何に実現するかを研究する学問なのである。
なぜならば、経済とは生きるための活動だからである。
貨幣的現象にのみ囚われていたら経済の実態を見失う。
昔がよかったなんて言わないし、今が良いとも言わない。
ただ、経済を成り立たせている前提が変わったのである。
生活を送るための前提、生きていく上での前提が変わったのである。
その事を理解しないと現在生起している経済現象の意味を明らかにする事はできない。
又、どうやって生きていったら良いのかも解らなくなる。
貨幣経済を動かしているのは、収入と蓄え、支出と借金の関係である。
中でも一番要となるのは、収入である。
今の時代は、収入があれば生きていく事ができる。逆に言えば収入がなくなれば生活の基盤が失われるのである。それが前提条件となる。
貨幣経済を実質的に動かしているのは、現金の流れである。
経済を動かす手段は、売り買いと貸し借りである。
現金収支だけでは、経済の働きは測れない。現金を供給する為には、現金の働きを構造的に捉える必要がある。そのために、成立したのが期間損益である。
貨幣経済では、収入が基本になる。収入があって次に支出が決まる。
収入より支出が上回れば、不足した部分は、お金を借りてくるか、蓄えを取り崩して補う事になる。
収入が支出を上回れば余剰部分が蓄えとなる。余剰部分は、金融機関を経由して資金不足の経済主体に貸し出される。
収入の働きを規定するのは、支出である。収入の働きの有効性は、支出と関係によって判定される。
支出が収入を上回れば、収入は効用を発揮できなくなり、経済的には破綻してしまう。即ち、支出は、収入の範囲内で行われなければならない。これは、収入は支出の範囲を確定する事を意味する。
支出には、金融支出、消費的支出の二つがある。金融的支出は貸借取引を介して実行され、消費的支出は、損益(売買)取引を介して実行される。
金融取引は、資金の動きを制御し、損益取引は、資金の働きを制御する。
金融取引が一定の水準に達すると損益取引は、金融取引の制御下に組み込まれる。
収入と収益は違う。収入と収益の差が資本主義経済では重要な働きをしている。
収益というのは、収入が確定している事象を言う。収入が確定していると言っても現金の受け取りが実行されているとは限らない。現金の受け取りが伴わない収益は、貸付金として処理され、収益としてだけでなく、資産勘定に計上される。
収益とは、資金の働きを表し、収入は、資金の動きを表している。この様に一つの取引を二重に記帳する処理の仕方を複式簿記という。
金融的取引は、資金の動きを制御し、損益取引は、資金の働きを制御するから、収入によって資金の動きを制御する事はできても資金の働きを測定、監視する事は難しい。そのために、収益という概念が設定されたのである。
経済の動きを解明するためには、金融取引と損益取引の働き、現金収支と期間損益の働きの関係を理解しておく必要がある。
収益という概念に適用するために、消費的支出に対する概念として費用が設定された。収益と同様、現金の支払いを伴わない支出がある。この様な費用は、借入金として処理され費用としてだけでなく負債勘定に計上される。
資金を外部から調達をして投資をするというのが原則である。外部から資金を調達すると負債と資本が形成される。外部から調達された資金の性格の本質は借金と変わらない。
現代経済は、私的所有権を認めているようで実際は否定的である。資産を所有するといって対極には、負債があり、純資産には相続時に税金がかけられるようになっている。
資産を相続すると言う事は、同じだけの負債を背負いこむ事を意味している。
投資を前提とした経済は、大量生産、大量消費を前提としなければ成り立たなくなる。
市場では価格が決定的な働きをする。
市場価格は何によって形成されるのか。
市場価格は、需給と原価を基軸として変動する。
即ち、需要と供給と原価が価格を決定する要因となる。
需給は、生産と販売の関係から生まれる。
大量生産は、価格を低下させる。
原価は、固定費と変動費に分類できる。
単価では、変動費は固定的な部分を形成し、固定費は変動的部分を形成する。
変動費は、販売量や生産量によって影響を受けない。それに対して、固定費は生産量に反比例して低下する。
単価を下げようと思えば、大量生産をする事で固定費を下げるしかない。
大量生産を支えているのは、大量販売である。故に、量販しないとコスト高になり、採算がとれなくなる。
その根底にあるのは、操業度の問題である。即ち、固定費と変動費の関係である。
大量生産は、機械化を前提としている。機械化は、設備投資がなければ成り立たない。今日の設備投資は巨額の資金を必要としている。
経済の性格は、労働集約的であるか、設備集約的であるかによって性格に大きな差が出る。
大量生産によって劇的に低下するのは、償却費用である。それに対して、人件費は、生産力に限界があり、費用としては、硬直的である。故に、機械化が進んだ企業は、単価にかかる費用を劇的に低下させる事ができる。
大量に生産し、大量に売れば固定費を低減する事ができる。
安売りをしてでも販売量、ひいては、生産量を増やそうとする。それが、過剰生産、過当競争を生み出し経済を不安定にするのである。
機械化は、産業の性質を労働集約型から資本集約型へと変質させてしまうのである。
生産手段と負債は対になって成立している。一方だけ注目していたら現金の働きを測る事はできない。
生産手段は、一定の期間をかけて償却される資産と償却されない資産に分かれる。償却されると言っても簿記上の話で実際に資金の遣り取りがあるわけではない。
この償却というのは、経済上に固定的な部分を形成する。償却資産は費用性資産でもある。
俗に、償却費は現金を伴わない費用という認識があるがこれは重大な間違いである。償却費の背景には、長期借入金の返済が隠されているのである。
収益と費用と利益の関係には、収入と償却費と借入金の返済の関係が隠されている。
投資経済というのは、反面、借金経済でもある。
借金というのは、お金の前借りであり、お金は返さなければならない。この事の持つ意味がどうも理解されていない。そして、ある時期一斉に借金をしたら市場の金回りは一時的によくなる。それが見かけ上の景気をよくするのである。
しかし、借金の返済は、毎月、毎年、継続して実行される。徐々に金回りが悪くなる。要するに、借金をすると一時的に手持ちの資金は潤沢になるから金持ちになったように錯覚する。しかし、実際は、月々の返済がもう片方に発生しているのであり、借金の返済は、厳格に履行される硬直的な性格の支出なのである。
借金が増える事は、月々の固定的な支出の占める割合を上昇させる事を意味するのである。
これは、家計に限った事ではなく、財政も企業も同じである。
即ち、今日の経済は、大量生産と負債によって成り立っていると考えられる。
借金が増加すると支出の構造が変質する。即ち、固定的部分が増えてきて支出が硬直化し、可処分所得を圧迫してくるのである。
この様な借金の働きは、資金の働きが測定できないと明らかにできない。知らず知らずのうちに家計や収益を圧迫し、生活を苦しくする。財政も然り。
負債が一定の水準を超えたら、経済に対する施策も、金融取引と損益取引を均衡させるように変えなければならない。
収入には、金融収入と生産的収入の二つがある。
借金の増加は、収入の構造も変化させる。借金の増加は、月々の返済額の増加を招く。それは、所得を圧迫し、可処分所得の減少を招く。借金の返済額は、硬直的で景気の変動の影響を受けない。そのために、所得が上昇している時は、可処分所得の上昇を招き、逆に、所得が減少すると可処分所得は減少する。又、インフレーションは、借金の負担を軽減し、デフレーションは、借金の返済の負担を重くする。
金融的支出が収入に占める割合が高くなると収入を一定化する必要性が出てくる。それが収入の平準化の必要性を高め、賃金労働を浸透させる契機となる。賃金の平準化は、住宅ローンの浸透などを通じて借金の技術を向上させた。また、借金の返済額と家賃との関係が景気に重大な影響を与えるようになる。
また、経営主体の重要な働きの一つに、収支の平準化がある。
市場が成熟してきたら市場規模に対して適正な経営主体の数が維持できるように市場構造を整える必要がある。
経済の最終的目的は、分配である。生産ではない。生産は分配の前提である。この点も明確にしておく必要がある。だからこそ貨幣に囚われてしまうと経済の実態が見えなくなるのである。貨幣は、手段であって目的ではない。
貨幣は、財の生産、分配するための手段である。
経済の目的は、生産された財を必要とする人に対し分配する事にある。
お金を儲ける事は目的ではない。利益を上げる事も目的なのではない。
人々が必要としている財を必要なだけ生産し、必要としている人に必要なだけ分配する事が目的なのである。
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