経済政策の基本は失業対策
確かめようのない事をあたかも自明な事として論理の前提とするのは、経済学の悪しき伝統である。
需要、供給と言っても何を前提とし、どの様な事を指して言っているのか判然としていない。何を需要と言い、何を供給とするのか、その数学的根拠を明確にし、定義すべきなのである。
物理学は、直接計測しようのない事は、自明な事とはしない。経済学において直接計測できるのは、統計である。ゆえに、経済数学は、統計を基礎としたものにならざるを得ないのである。
人、物、金の三次元に時間軸を加えた四次元を想定する事で経済空間は形作られる。即ち、人的な距離、物的な距離、貨幣的距離、時間的距離の集合が経済空間を構成するのである。
人、物、金が作り出す三角形、空間が経済の基礎を構成する。
仕事の量、必要とされる物量、そして、所得によって構成されるベクトルが経済変動の方向を定める。
そして、人・物・金が作り出す空間は、生産から消費に至る過程で個々独立した次元を構成する。例えば、生産による空間は、生産量、雇用、所得によって成り立つ。消費による空間は、消費量、消費人口、費用によって成り立っている。
経済的な問題は、全体と部分の不整合によって引き起こされる。
人と、物と、金の歪が経済を狂わせるのである。
第一に、物や人は有限であり、上に閉じているのに、貨幣は、上限に限りがない。貨幣に上限がないという事が、景気が通貨の動きに振り回される原因の一つである。
第二には、全体と部分の不整合にある。個々の産業によって価値の尺度に差があるという事である。
部分の不均衡が全体の構造を不安定にするのである。不合理な格差が拡大すると消費が不当に歪められる。その結果フローとストックの均衡が破られることがある。
芸能人やスポーツ選手が他の労働と比べて高い報酬を得るのは、産業構造の違いによる。低い単価でも集客力が高ければ、高収入が得られる。この様な格差の偏りが異常に高くなれば、消費構造も歪める。
第三には、生産手段、所得構造、消費構造に質的な差があると言う点である。一人ひとりの所得は、個人の生活の必要性と一致しているわけではない。
お金が必要としている時に必要なだけの資金があるとは限らない。この様な不均衡によって景気は、影響を受けるのである。所得格差が以上に広がると消費構造を歪めてしまう事になる。その典型が、バブルという現象である。金余りが嵩じると必要以上にお金がストック市場に流れ込み資産価格の高騰を招き、投機が実需を押しのけてしまう事態が起こる。
第四に、市場の競争に依存すぎている点がある。重要なのは、適正な価格であって、安ければいいとか、競争力だけを追求するのは間違いである。つまり、制度的不整合によって景気の変化が増幅される例である。
逆に寡占独占状態になると適正価格の形成ができなくなる。
経済は、合目的的行為であり、目的を失った競争は有害なだけである。経済の目的は分配である。
第五に、局所的な変動が全体的変動を増幅する。オイルショックのように一部の財が極端に品薄になったり、高騰した場合、物価全体が抑制を失って高騰してしまう現象である。
所得、生産、消費、人口、金融(負債と資本、収益、貯蓄)の構造と分散と偏り、平均が経済の動きを決めている。
必要な財を分配する手段として用いらわれるのは、今日では貨幣である。貨幣は、何らかの対価によって個々の個人に配られる。自分の手持ちの貨幣によって人々は、市場から必要な資源を調達するのである。
問題なのは、貨幣を手に入れる為の手段も、財も、生活も均一ではないという事。また、生産手段も均一に分布しているわけではない。また、生産手段の質も均一ではないという事である。
労働の質は均一ではない。労働の質が均一でないから、対価としての報酬、所得も均一にはならない。
労働の質には差がある。労働の質は、職種によつても違いが生じる。例えば、単純肉体労働と技能労働、知的作業、管理作業とは質的な差がある。均一、一律に扱う事はできない。
また、労働を何によってどの様に評価するかによっても、労働にの質には違いが生じる。労働の成果、品質や労働時間によっても差が生じる。
経済政策の中心を失業対策とするのは、正しいと私は思う。
なぜならば、経済は、本来分配の問題だからであり、いくら、利益を上げても実質的な裏付けがなければ、経済の実体に影響を及ぼさないからである。
経済の実質は、費用と資産にある。収益、負債、資本は名目的な事象なのである。
いくらレバレッジを上げて資金を調達しても運用において実体が伴わなければ、実物経済には変わらない。
費用と借金をいかに制御するかが、経済政策の鍵を握っている。
収入は不確実で不安定である。それに対して支出は、確定的で、持続的に派生する。
企業というのは、不安定で不確かな収入を固定的なものに整流する装置・機関でもあるのである。
経済には、いくつかの景気の波がある。その波には、各々に波を構成する要因がある。景気の変動は、多分に構造的な事である。
支出には特定の波がある。例えば、償却期間を基準として作られる波である。
もう一つの基準は資金計画による波である。
他には、投資による波。成長による波。消費による波が考えられる。
例えば住宅のような30年、40年、事情によっては半永久的な寿命を持つ財もあれば生鮮食品の様に日々消費されていく財もある。
経営者には、儲かった時に資金を蓄え、、赤字の時に備えたいという動機が働く。
税は、所得や収益を平準化しようという動機をもたらす。
元々、税というのは、所得や収益を平準化する目的がある。
収入が一定している場合は、計画的に支出、費用を組むのは容易い。
しかし、相場物の様に値動きが激しい財に対する利益を平準化するのは、困難である。資金の過不足が常にあるのが常態だと考えるべきなのである。原価を基にしていると価格も安定せず、不確かなものになってしまう。
また、住宅の様に一度投資をすると長期間更新されない財は、新規投資による市況と、更新、リフォームによる市況の期間とでは産業構造もおのずと変化する。
多額の設備投資を必要とする産業もあれば、設備投資を全く必要としない産業もあり、費用構造、資産構造、収益構造、負債構造は、各々の産業に特性があって一律ではない。
産業の構造によっては、冬籠り、冬眠する企業も出てくる。
長い周期で対策を建てなければならない産業もある。
何が産業の消長に決定的な働きを及ぼすのか。その要因を
また、資産構造、費用構造、収益構造、負債構造の違いによって投資の在り様にも違いが生じる。それによって資金の流れにも差が生じ、産業毎に景気の波が違ってくる。
一つの産業も成長段階や環境の変化によって収益構造や費用構造、負債構造に変化が生じる。
費用や支出の在り様は、全ての産業が一律なのではなく。個々の産業ごとに違う。また、ライフサイクルも違う。この事を前提として経済政策がとられないと経済政策の実効性はなく。場合には、逆効果になる。
即ち、産業毎、段階や環境の変化に応じて政策を変える必要がある。
経済政策に万能薬はない。規制緩和、規制緩和。公共投資、公共投資と馬鹿の一つ覚えに叫ぶのは、何でもかんでもアスピリンを飲ませておけばいいという藪医者のごときものである。
経済は対処療法では抜本的な解決に結びつかないのである。
また、金融政策に依存しすぎると一種の中毒症状を引き起こす。金融政策は、劇薬なのである。適切に使えば、劇的な効果を上げるが、不必要に乱発すると有効性が失われるだけでなく。慢性的な疾患を引き起こす事になる。
いくら金融機関が利益を上げても、実物経済の停滞は防げない事を忘れてはならない。
なぜならば、金融機関の利益が増加しても虚の部分が拡大するだけだからである。
何がその国の経済にとって必要とされる産業なのか。その点を見極める事である。そして、その産業が継続できるのに必要な処置を講ずることは、許されない事ではない。
成熟した産業だから、成長が期待できないから、競争力がないからといって短絡的に切り捨てる事は間違いである。ただ、過剰に保護する事で産業しての健全性が保たれなくなるのは問題である。
実際問題、多くの産業は、成熟すると技術革新や成長が期待できなくなる。市場が過飽和な状態になるからである。しかし、そういう産業でも、否、そういう産業だからこそ、その国の経済にとって不可欠な産業であ練る場合がある。
技術革新が期待できないが、生活にとって必需品である産業の収益をいかに確保するかか、それが重要なのである。
ただ、これだけは忘れてはならない経済は、生産と分配であり、交易を制限する事は、市場の歪を拡大するだけである。開かれた市場を維持しながら、公正な競争を担保することが求められているのである。
成長や技術革新のみを是とした経済生産は、必ずしも健全だとは言い切れない。
例えば、技術革新は、熟練を必要とする仕事の必要性を縮小し、熟練工の寿命を短くした。その結果、腕のいい職人や特殊な技能の多くが失われたのである。
かつては、年と伴に向上した技能も技術革新によって技能が短期間で陳腐化し、技能を向上させることの意味もなくなった。安易で簡単に仕事を変える風潮を生み出している。
仕事場から、経験や熟練による評価は失われ。ただ若くて体力がある事だけが評価されるようになった。
これまでは、働けるうちは、仕事にあぶれることもなかったのに、今で、一定の年齢を過ぎるとまとも職に就くことも難しくなった。手作りとか、匠の技など価値がなくなってしまったのである。しかし、少子高齢化を迎えようとしている今、それは時代に逆行しているようにも思える。
人間に替わって機械に仕事をさせる事は、人から仕事を奪う事でもある。
それは付加価値を縮小することでもある。
拡大、成長、発展のみを前提とする経済は、必ず限界に突き当たるのである。人は限りある世界の中で生きている事を忘れてはならない。
自分たちだけが無限に拡大しようとしたら、同じように拡大しようとしている勢力と衝突することは避けられない。それはやがて戦争に発展し、人類に破滅的な惨禍をもたらすのである。
人類は、分かち合い助け合う事を学ぶ必要がある。さもないと凄惨で悲惨な事が未来永劫続くことになる。
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