易に三義あり



太極は、混沌としている。

天は唯一であり、絶対である。

太極は完全であり、唯一である。故に全体は一である。
太極は無分別であり、空である。
故にその内は零和である。

照見五蘊皆空

色不異空 空不異色
色即是空 空即是色 (般若心経)

諸行無常
諸法無我

道は、無形無名を以て、万物を始成す。

吾は唯一である。
分別は、吾にある。
吾の内の意識が分別を生む。
唯一の太極、唯一の吾が対峙した時、分別が生じる。
分別から、両儀が生じる。
分別は、乾と坤の間にある。

生と死の間。天と地の間。我が人生あり。
人生は、一生である。唯一無二である。

分別から名が生じる。

実は陽、名は陰。
物は陽、お金は陰。

意識は、外に向かう時、陽となり、内に向かう時、陰となる。
陰陽は、認識の作用反作用を構成する。

爻象は内に動いて、吉凶は外に見(あら)われ、功業は変に見(あら)われ、聖人の情は辞に見(あら)わる。

太極は、混沌としている。

太極に吾が対峙した時、意識が生じる。意識は、物を分かつ。故に意識から分別が生じる。分別は、相対的である。相対的だから両儀を生む。それが科学の源となる。

分別は、位置と運動(はたらき)、関係を表す。

是故空中 (般若心経)

太極と自己とは一対一で二となる。

道生一、一生二、二生三、三生萬物。

太極に有無はない。
有無は吾にある。

有無も、一も、二も自分の意識が生み出すのである。
対象にあるわけではない。

人の体に貴賤の別はない。
頭だから尊くて肛門だから卑しいという事はない。
尊いとか、汚いとか、卑しいとするのは、吾である。
賤があって貴があり、貴があって賤が生じる。
何を貴とし、何を賤とするかは、自分である。
対象に貴賤があるわけではない。

全体は一である。全体の総和は零(〇)である。
全体の総和は零であるが故に天、即ち、全体は一となる。

光あるところに物があれば、影が生じる。
光だけの世界は、何も識別できない。
物があり、影が生じるから識別ができるのである。
光と物と影の三つが揃って世界は認識できる。
光と物と影の根本にある実体は一つである。
それ故に、人が物を認識した時、陰陽が生じる。
しかし、陰陽の本は一つである。

一から、陰陽の二が生じる。天は陰陽を含んで三となる。

易に、不易、変易、簡易の三義あり。

人に定めがあり。人に志がある。その関係は簡易である。

世界は、一つ。
故に、世界経済も一つである。世界経済の実相は、絶え間なく変化し続けている。しかし世界経済を動かしている会計原則は一定である。その関係は、「お金」の出入りに基づき単純である。

人は、物事を複雑に考えすぎる傾向がある。
物事の本質は簡易である。太極に意味はない。
意味は、吾が、吾の都合で生じさせるのである。
真理は、ただ一つ。迷えば真実を直視する。

悔吝(かいりん)を憂(うれ)うるものは介(かい)に存(そん)し、震(うご)きて咎(とが)なきものは悔(かい)に存(そん)す。(繋辞上伝)

自意識が生じると太極から両儀が生じる。
易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。

中国は偉大だ。中国の古典には、近代思想の源がすべてある。
温故知新。

易に、不易、変易、簡易の三義あり。
大切なのは、何が不易であり、変易であり、簡易なのかである。

変わっていい事と、変わってはならない事がある。しかし、真実はいたって簡単なのである。
基本は守らなければならない。でも変化は大胆に取り入れなければならない。

物事には、順番があり、序列があり、筋があり、法があり、軽重がある。

経済の本質にも三義は関わっている。

経済は、現実である。経済は観念ではない。
経済とは、生きるための活動を言う。故に、経済は、自分の生活実態を考えればいい。

お金は、巡る。お金を得た者は力を持つ。しかし、お金は使わないと力を発揮しない。お金を使うとお金は無くなり、力も一緒になくなる。故に、貨幣経済では、お金が回るように力も変遷するのである。

人は、力を蓄えようとして、お金を蓄える。しかし、いくらお金を蓄えても力は発揮できない。
お金が蓄えられた本を資本という。

所得、支出、蓄積、借金、資産、税金、為替、物価が相互にどのような働きをし、また、どの様な力関係を持っているかを明らかにしないと経済の動きは見えてこない。

働きには、斥力と引力がある。作用と反作用がある。

競争を促せば、世の中は流動的になり、変革が起こる。
競争を抑制すれば、世の中は安定し、平穏となる。
変革を求めるか平穏を求めるかは、その時の状況次第である。
変革が絶対でも平穏が絶対でもない。

制度単位の残高の総和は、零和である。いずれかが黒字になれば他の単位のいずれかが赤字となる。

収支は、損得の問題ではなく、過不足の問題である。

家計や企業が所得を貯め込めば、財政や経常収支は赤字となる。金融は、貸し借りの均衡によって金利を獲得する。時間価値が減少すれば金利も低下する。負債が蓄積すれば、利率は低下する。
黒字がいいか、赤字がいいかが問題なのではない。どの部門が黒字を引き受け、どの部門が赤字を引き受けるかの問題であり、どの様に循環させるかの問題である。
金融は、その平衡をどう調節し、制御するか。それが役割である。
一方に偏れば、歪が拡大し、制御不能な状態に陥る。

一元にして復た始まる。
物極まれば必ず返る。

市場が拡大、成長している時は、収益によって費用の上昇分を吸収する事ができる。
しかし、市場が成熟し、飽和状態に陥ると量から質への転換が求められるようになる。

  政府 金融 企業 家計 海外
変動 税率 金利 利益率 物価上昇率 為替
所得 生産・輸入品に課せられる税
所得・富等に課せられる税
金融資産
の純所得
営業余剰
混合所得
雇用者所得 輸出
支出 政府最終消費支出 金融負債
の純取得
産出と
中間消費
民間最終消費支出 輸入
投資 公共投資 金融投資 設備投資
在庫投資
住宅投資 資本投資

景気には、資金の循環によっていくつかの波があると言われている。
在庫に基づくキチン循環の短期の波。
企業の設備投資による大体十年を周期としたジュグラー循環。
住宅投資に基づく、凡そ二十年周期のクズネッツ循環。
そして技術革新や公共投資による凡そ五十年周期のコンドラチェフ循環などである。
そして、その波に応じて主役も交代していく。また、交代するような仕組みを組み込んでおかないと経済は破綻する。

成長期は、主として企業が借り手となって設備投資が盛んとなる。市場が成熟する過程では、住宅投資が、台頭してくる。設備投資や住宅投資等の波を公共投資が補う。赤字がいいとか、赤字が悪いというのではなく。資金の過不足に応じていかに資金を循環させるかが問題なのである。この交替が円滑になされないと資金の循環に偏りが生じて景気が暴走したり失速したりするのである。

窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず、通ずれば則ち久し。(易経 繋辞下伝)

時極まれば而ち転ず。
物事は、行きつくところまで行きついたら反転する。

個々の主体は、陰陽五行に従って相生、相剋の力関係を生じる。

国民経済計算における制度部門別第一次所得の配分勘定の増減、および、制度部門別所得の第二次配分勘定の増減、制度部門別可処分所得の使用勘定の増減、制度部門別資本調達勘定(実物勘定・金融取引)の増減、海外勘定などに力関係は顕れる。

国債を担保に金融が貨幣を発行し、企業に貸し付けて投資が生まれる。投資から生産が生まれ、生産から消費が生まれ。消費した残りが貯蓄となり、貯蓄は、国の資本を構成する。

所得から、支出が生じる。支出から収益が生じる。収益から資産が生まれる。資産から負債が生まれる。負債からお金が生じる。お金から税金が生まれる。
貯蓄と消費は、背反関係にある。所得と費用は表裏関係にある。資産と負債は表裏の関係にある。

収益が減れば負債が増える。収益が増えれば利益が、資本が増える。費用が増えれば利益は減る。負債が増えれば金利は増える。原料費が上がれば、原価は上がる。借りが増えれば現金は増え。貸が増えれば現金は減る。

所得から消費が生まれ、消費は、需要、支出となって収益を増やす。
反面に支出は費用となって、利益を圧迫する。利益を上げようとすれば、費用を削減して支出を抑制しようとする。支出を抑制すれば、所得は減少する。
収益の上昇は、費用の上昇を招く。費用の上昇は利益を圧迫し、収益の下降圧力となる。

消費の減退は、蓄積を増やす。蓄積の増加は、負債の増加となる。

何と何が比例関係にあるのか。
何と何が反比例関係にあるのか。
何と何が対称関係にあるのか。
何と何が因果関係にあるのか。
何と何が相関関係にあるのか。
何と何が相乗関係にあるのか。
何と何が背反関係にあるのか。
何と何が表裏の関係にあるのか。
何と何が主従関係にあるのか。

生計は、可処分所得の範囲内で建てられる。物価は、消費に影響され。生計は、物価に連動している。個人所得は、人件費、即ち費用でもあり、人件費の高騰は原価を上昇させる。原価の上昇は価格を押し上げ、物価を上昇させる。

変動率は、時間価値を構成する。
借入金に所得の不足分を補う。借入金は、投資を促す。借入金は、将来の所得を担保している。金利は、借入金の元本を基礎としている。借入金が増えれば、可処分所得は圧縮される。可処分所得が圧縮されると可処分所得が不足して、新たな借り入れが困難になる。
全体に占める分母の比率が大きくなると変動率は抑制される。
例えば、総資本に占める総負債の比率が大きくなると支払金利は、抑制される方向に力が働く。

問題は構造なのである。

金利の変動、物価の変動、税の変動、利益の変動、為替の変動これらの変動が所得や資産の変動にどう影響を出すのかによって時間価値の働きは制約を受ける。
負債が増加すれば金利も比例して増加する。利息の絶対額は、可処分所得を圧縮するから利率は抑制される。

何が不易で、変易で簡易なのか。
物事の変化を表す指標が変易であり。物事の変化の本となる指標が不易である。変易と不易の関係が見えたら、その動きを予測する事は容易い。

費用には変動費と固定費がある。
変動費と固定費の関係が明らかになれば損益分岐点を計算することは容易である。

同様に、資産には、流動資産と固定資産がある。負債には、流動負債と固定負債がある。
資産と費用は陽である。負債と資本、売上は陰である。資産、費用、負債、資本、費用は陰陽五行である。

利益は、差を基礎とし、収益は積を基礎とし、総資産と総資本は、和を基礎とする。
総資産と総資本は、純資産を核としている。

不易は定数で、変易は変数である。簡易なのは法則である。
これらの関係が明らかになれば、易は科学となる。

総所得は、平均所得の積である。全体の総生産量が一定ならば、いくら総所得が増えても実質的な取り分は変化しない。それは貨幣上の錯覚なのである。つまり、所得は変易でも、実質的取り分は不易であり、その実態は、簡易なのである。

いくらお金が儲かると言っても生産的な仕事でなければ、社会全体の効用は増えない。社会全体の効用が増えなければ、豊かさには貢献していない。金持ちが増えたとしても豊かになれるわけではない。

いくら豪華に邸宅を大量に建設しても買い手の所得から見て高価ならば売れない。
住む人がいなければ、豪華な邸宅も単なる箱に過ぎない。家を建てるのは投機が目的なのではない。
一体どんな街にしたいのか、どんな生き方がしたいのかがわからなければ、経済の目的など成り立たないのである。金儲けは、手段に過ぎない。

所得、支出、蓄積は、所得が範囲を特定し、支出と蓄積が取り分を制約する関係なのである。所得も支出も付加価値に基づいている。

貸家には、デットクロスというのがある。デットクロスというのは、償却が終わっていても借金の返済が終わっていないと、利益が上がっているのに、現金収入は増えていない状態である。利益が上がっている分、税金がかかる。税金は、支出であるから、資金不足の原因となる。

この様な問題は、現実の資金の動きと損益が連動していない事に原因している。この絡繰りがわからないと経済の動静を予測することはできない。

我々は、生きるために、働いて、その対価として所得を得て、その所得によって市場から生きていくのに必要な資源を調達している。
一部の例外を除いて基本的には、働かなければ生きていけない。
生活の基本、経済の基本は、収入と支出にある。

現金が不足すると生計は破綻する。これが前提条件となる。

生計は、収入と支出によって形成される。支出は、収入に制約を受ける。

収入は、働いて得た所得だけではない。
お金が足りなくなれば、借金をする。あるいは、資産を処分してお金を得る。所得以外に、相続なので贈与される場合もある。また、公的機関から補助金を受ける事もある。年金や保険金を得る事もある。
支出は、生活費がある。税金を払わなければならない。地代・家賃も必要である。さらに、借金があれば、借金の返済がある。余ったお金は貯蓄する。これが経済実態である。
ところが現在の経済学は、この経済実態とかけ離れたところで立てられている。だから、現実の問題に対処しきれないのである。

現金の収入源は、所得、借金、、資産の処分、贈与、補助金である。
支出は、地代家賃、金利、生活費、借金の返済、金利、税、貯金である。

方程式にすると収入=所得+新規借入金+過去の蓄積の取り崩し+資産の代金+補助金+金利である。
支出=生活費+借入金の返済+金利+税金+地代・家賃である。

借金と所得の関係は、借金は、将来の所得を担保しているという点にある。借金は陰、所得は陰に位置する。資産と支出が陽に位置するのである。資本は陰に位置する。借金と所得は同じ陰の性格を持つが故に、比率に左右されるのである。借金と所得は働きにおいて借金は陰、所得は陽である。

個人所得とは何か。所得は、第一に、単位期間内収入である。第二に、出し手から見て支出である。第三に、費用である。第四に、生計費の元である。第五に、働きに対する対価、評価である。第六に、課税対象である。
この様に所得は、いろいろな局面を持つ。
そして、個々の局面がそれぞれ固有の働きがあるのである。

個人所得は、家計から見ると期間収入であり、生計費の基礎である。企業から見ると費用である。金融から見ると貯蓄の原資であり、また、貸し出す時の担保となる。借金は、将来の所得を担保することで成立する。国から見ると税の基礎である。海外から見ると交易の前提条件である。
そして、個々の働きが相互に牽制する事によって経済は成り立っているのである。

所得は、一定している場合と一定していない場合がある。所得の状態によって資金は、過不足が生じる。その過不足を補うのが金融の働きである。金融が機能しなくなると資金の過不足を補う事ができなくなる。
所得が不安定になったり、途絶えると固定的支出が生計を圧迫する。最悪の場合、破綻させてしまう。また、負債も累積していく。

雇用が不安定になれば収入も不安定になる。将来の収入が保証されなくなると借金もできなくなる。借金は、定収を前提として成り立つ。定収は、正規雇用によって成り立つ。雇用不安になれば、正と負の調和がとれなくなる。陰陽が乱れ、陰の力が強くなる。

即ち、所得に占める固定的支出と変動的支出の関係が経済に決定的な働きをしているのである。
これが大前提である。

負債とは何か。負債と貯蓄、資産は表裏の関係にある。
負債は、家計から見ると貯蓄であり、補助手段であり、また、住宅投資の原資である。金融機関から見ると蓄積であり、資産であり、金利の基礎である。企業から見ると投資や運転資金の原資である。政府から見ると貨幣を発行する時の裏付けであり、歳入不足を補う手段である。海外から見ると交易の条件である。

一般に所得の範囲内で借金を返済する。金利は、借金の元本を基に計算される。税金は、所得を基礎として計算される。借金の返済と税金、地代家賃は、固定的支出である。
取得から固定的支出を差し引いた範囲内で生計費は賄われる。地代・家賃を除いた生計費は、変動的支出である。

住宅ローン、自動車ローン、月賦、割賦で商品を買い続けると物は豊富になるが自由になる金は少なくなる。失業なんてしようものならたちまち金が回らなくなる。
これは国も同じである。あれもこれもと借金を重ねていると段々と自由に使えるお金が減ってしまうのである。
しかも、金利は、借金の元本を基礎として変動する。元本が累積すれば、金利も馬鹿にならなくなる。
ところが多くの人は、借金に対しては無自覚である。目先の支払いが少ないと簡単にローンを組む。気が付いたら、借金地獄に陥り、借金の返済をするために働き、生きているような状態になる。しかも借金の返済は待ったなしである。

ただ資金の過不足は常に存在する。常に存在するというより、資金の過不足が資金を循環させる原動力だからである。資金の過不足によって生じた赤字、黒字の善悪を論じても意味がない。資金の過不足の働きと適度を問題とすべきなのである。

制度部門別の位置と運動と関係が重要なのであり、力の均衡と役割の循環をどの様に行うのかなのである。

経済では、天地人が肝要である。天には時があり、地には位置があり、人には和がある。
経済は流転する。経済は無常である。資金は常に循環し続けなければならない。

景気の波と負債と所得の水準、その調整が経済を支えているのである。

だからこそ変易、不易、簡易の三義が鍵を握るのである。


续太极经济



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