経済と陰陽五行
中国文明は偉大だ。中国文明は、古来、東洋文明の中核をなしてきた。
中国の思想は、東洋人の思考、価値観、そして、生活様式の基盤を形成してきた。
これは紛れもない事実である。
温故知新。
中国の偉大さは、その歴史と伝統に現れている。中国の偉大さは、その伝統的思想に現れている。中国の古典が不当に低い評価を受けているのは、人類全体の不幸である。
人類の未来は、中国の伝統的思想の消長かかっているといっても過言ではない。中でも陰陽五行思想が鍵を握っている。
易というと辻占いのようなものを思い浮かべる人が多い。また、所謂神秘主義的なものでと思い込んでいる人が多い様に見受けられる。
易は、決して不合理、不条理なものではない。合理的な体系の上に成り立っている一つの思想である。また、神秘主義的、超自然主義的なものではなく。科学と共通した基盤を多く持っている。
既知な事象と未知な事象を見極めた上で予測をたてる。解らない事は、解らないと認めるのである。(「知之為知之、不知為不知、是知也」論語 為政)
確かな物、確実な事と不確かな物、不確実な事を明らかにして、確かな物、確実な事から不確かな物を推測する。予め解っていること、予測がつくことと、事前には解らない事、予測がつかない部分がある。事前に解っていることから将来を予測する事、その上に、あらかじめ予測のつかない部分を占うのである。その両面を兼ね備えているのが易である。それは、不合理なことではなく、科学的な考え方と共通している。
解らない事を解ったふりをして断定的な言う事が非科学的なのである。科学でも解明できない部分がある。それが前提である。だから、科学は、仮説の上に成り立ているのである。
この世の中には、百%確実に起こるなどと言うことは、稀である。幾ばくかの不確実な事象を含んでいる。故に、占うのである。それが合理的精神である。この世の全てを予測できるというのは、自らを神とすることであり、それこそ傲慢なことである。現代人は、その傲慢さ故に過ちを犯しているのである。
陰陽思想の根本は、天人合一思想にある。宇宙と人間を一体と見なす。そして、宇宙と人間を一つの全体としてみなし、その全体が陰陽によって変化し続けていると見るのである。
陰陽は、消長と転化の思想でもある。(「東洋医学のきほん」後藤修司監修 田中康夫著 日本実業出版社)
日本人は、とかく、陰は悪くて、陽は良いという捉え方をする。しかし、陰陽の本質は、本来、陽がよくて陰が悪いという捉え方をしたのでは理解できない。陰と陽とは、状態を示しているのであって正否善悪を意味しているわけではない。
何を以て易を立てるのか。
先ず、前提となる条件や状態、時流である。そして、全体の象、相、そして、その上に個々の働きを基礎とし、正邪の動きに依って易する。
働きや動きは、方向と勢いと原因に着目する。
易で大切なのは、全体の象と相である。医学で言えば、全体の症状である。原因と結果を点と線で結ぶのではなく。全体の関わりによって明らかにする。その為に、六十四の象に分類し、象に依って先ず全体を捉えるのである。
更に大切なのは、時中である。その時、その場所、その人が、どの様な象、相であるかである。
時には、始生、漸盛、旺盛、盛極、始衰、転復、或いは、潜伏、顕現、成長、躍動、充足、又は、小、壮、老の順がある。
同じ、象や相でも時によって違いが生じる。その時点時点での前提によって象や相を判断することが肝要となる。変化の位置が重要となる。
象や相を表裏、虚実、寒熱、陰陽を以て診断するのである。それが表裏弁証、虚実弁証、寒熱弁証、陰陽弁証の八綱弁証である。
邪とは何か。邪とは、実なる部分の中にある虚なる部分である。或いは、虚なる部分の実なる部分の働きによって生じる。
例えば、伸ばす時に縮める働きであり、縮める時の伸ばす働きである。成長や拡大、上昇が常に良いわけではない。伸ばす時に伸ばし、縮める時に縮めることが重要なのである。そこに陰陽の気がある。問題は、順逆である。また、過剰な働きも邪である。
同じ位置でも上昇している場合と、下降している場合は違う。それを良し、悪しで捉えるのではなく、一つの状態、前提として認識し、易は、その場合に採るべき選択肢、進むべき方向を示しているのである。
前提となる条件が違えば、認識も変わってくる。我々が生み出す観念は、認識の所産なのである。儲けに対する考え方は不変ではない。ただ認識の前提である。認識の前提は、その上で成り立つ意識を支配している。
儲け、利益に対する考え方は、時代と共に変わっている。現金主義の時代の儲けに対する考え方は、収支が基本である。それに対し、発生主義の時代になると期間損益が基本となる。
実物貨幣の時代では、儲けは実物の増減を意味するが、表象貨幣の時代では、貨幣価値という情報の増減を意味する。この様な儲け、利益には実体がない。現金は、事実、利益は、見解なのである。
何を前提とし、何を条件として設定するかが鍵を握るのである。その上で確実なものと不確実なものを見極める。その上で、未来を予測する。それが易でいう占いである。根拠なき予測ではない。
そして、それらの変化するものと変化しないものを構成する要素が陰陽五行なのである。
損益も陰陽である。損益の考え方も損が悪くて、益が善いという捉え方では、利益の真の原理は理解できない。損は、陰で、益は陽である。損と益とが調和して始め利益の効果は発揮される。益の力が強すぎても損益の調和は失われるのである。
変化するものと変化しないもの、その変化するものと変化しないものの根本にあって変かと不変とを主(つかさど)る原則や法則、その三つを三義という。変化と不変とを主る原則や法則は、物事の現象を単純化した規則である。
変化するものを変易と言い。変化しないものを不易という。それを主(つかさど)るものは易簡である。
自然現象は、変化するところと変化しないところがある。変化する部分と変化しない部分を主る自然の法則は一般的で単純である。
市場取引には、変動しない部分と変動する部分がある。変動する部分と変動しない部分を規定するのは会計基準である。会計基準の原理は、いたって、簡易、単純であるべきなのである。
「お金」が悪いわけではない。使い方が悪いのである。「お金」の価値のも変化する部分と変化しない部分がある。しかし、「お金」が変わるわけではない。「お金」の使い道が違うだけである。
変化する部分も変化しない部分も相対的である。つまり、何を前提とするかによって違ってくる。
例えば、元本と金利は、元本が変化しない部分で、金利が変化する部分である。しかし、元本は、物価の変動や為替の変動を考慮すると変化しているようにも見える。何が何に対して変化していないか前提を確定しなければ、何が変化していて、何が変化していないかを判別することはできない。つまり、前提が問題なのである。
欲望が悪いのではない。欲望を制御できない人間が悪いのである。力に善悪はない。善悪は、力を用いる側の問題である。力を調節する仕組みこそが成否を分かつ。
金儲けが悪いのではない。金儲けのために手段を選ばなくなるから悪くなるのである。金に目がくらんで、自制心がなくなるから悪いのである。重要なのは、力の均衡である。中庸である。
陰陽五行を構成する要素の組み合わせが生み出す象(かたち)が力を発揮する。象とは、形相、様相、即ち、構造が何等かの意味や働きを発現させる。そこから一つの宇宙、世界が形成されるのである。宇宙や世界は、空間を意味する。
空間は、位置と運動と関係からなる。対象が置かれている位置だけでなく、その運動する方向と、働きが重要となる。
空間に時間が加わって世界は成り立っている。
陰陽は、単純な善悪、或いは、是非、二元論的な発想で捉えられるものではない。むしろ、二進法的な発想の方が正解である。
この様な世界観は、複式簿記の世界に通じるところがある。また、今日の情報通信技術にも通じる。
経済現象は、変化として現れる。しかし、経済現象として現れる事象にも、変化するものと変化しないものがある。
変化には、状態の変化がある。状態の変化は、消長と転化として現れる。消長は、量の変化であり、転化は質の変化である。量的変化は、質的な変化を引き起こす。
その変化を見極めるのが、表裏、虚実、寒熱、陰陽である。(「東洋医学のしくみ」兵頭 明監修 新星出版社)
会計でいえば、固定的な科目と流動的な科目である。流動的な物が固定的な物に転化する時や条件、固定的な物が流動的な物に変化する時や条件を見極める事である。
固形物が解けて流れ出すように、会計の世界でも固い物が柔らかくなり、やがて流動的になる。問題なのは、固体と液体の中間にある部分である。柔らかさ。粘度に応じて流動性が問題となる。
固定的なもの、重い物は、下に沈み地となる。流動的な物、軽い物は、上に上昇して天になる。
この変化の有り様が陰陽へと発展する。陰陽は、変化の根本原理である。
始めは、諸事、全て混沌としている。やがて、別れて陰陽を為す。更に別れて天と地となる。天と地、生と死の間、人生がある。その源は、不可知である。不思議である。
この道を進むも、進まざるも、それは自らの意志である。決断である。
一陰一陽これを道という。
会計の原理を陰陽五行に当て嵌めると貸方は陽、借方は陰である。
資産、費用は陽で、負債、収益は、陰である。陰陽の力は、拮抗している。複式簿記においては、貸方と借方は常に均衡している。
企業業績を易する場合、初爻は、固定資産。二爻は、負債。三爻は、流動資産。四爻は、費用。五爻は、収益。上爻は、資本である。
負債、収益は影である。実体はない。貨幣その物が実体を映した影だからである。実体は、資産や費用にある。負債も、資本も、収益もそれ自体では成り立たない、虚ろなる対象である。
貨幣は、物の市場価値を現した指標に過ぎない。貨幣その物が価値を持つわけではない。その物が持つ価値を指し示した物なのである。しかも、実物貨幣は、貨幣その物に実物価値があった。しかし、不兌換紙幣が貨幣の基本単位になってからは、貨幣その物にから名実ともに実体的価値がなくなった。
資本は、太極である。資本は、損益の結果である。故に、損益も太極である。資本と損益の違いは、静と動にある。資本は、静であり、損益は、動である。陰陽、即ち、貸借は常に均衡している。損益は、その状態を表している。
太極は、宇宙の精気を吸い込み、放出する。太極の運動によって世界は変化する。その本性は、渾然一体なる状態、玄妙なるものである。
太極はただ一である。陰陽に別れて二とする。乾坤、剛柔、消長は、一体にして、二。二にして一体である。相生、相克、相和し、渾然となる。
複式簿記、会計で言えば、太極図は、試算表である。
利益が上がればいいと言うわけではない。損は、常に悪いとは限らない。得も、損も、その働きにある。損して得をするという事もある。得をして損することもある。得る物があれば失う物もある。要は、算段である。本質は、天にある。
重要なのは、変化の兆しと変化の方向である。
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。
陽中に陰あり。陰中に陽あり。
陽の働きと陰の働きの違いは、例えば、発散は陽、収斂、涌泄は陰である。表は陽で、裏は陰。実は陽で、虚は陰である。開放は陽で、閉鎖は陰である。分散、民主は陽で、集権、統一は陰である。
外へ向かって放出は陽で、内に向かう収斂は陰である。能動は、陽で、受動は陰である。吐くは陽で、吸うは陰である。
上昇は陽で、下降は陰である。成長、拡大は陽であり、衰退、縮小は陰である。固いは、陽で、柔らかいは、陰である。エネルギー、活力は陽で、物質は陰である。
動は陽であり、静は陰である。明るいは陽で、暗いは陰である。熱いは陽であり、冷たい、寒いは陰である。強は陽であり、弱は陰である。
精神は陽であり、肉体は陰である。時間は陽であり、空間は陰である。
損益は陽であり、貸借は陰である。支出は陽で、収入は陰である。消費は陽、調達、即ち、生産は陰である。債権は、陽で、債務は陰である。
費用は、貸借から見ると陽であり、損益から見ると動であり、故に、陽である。即ち、費用は、陽と陽で太陽である。資産は、貸借から見ると陽で、損益から見ると陰である。故に、資産は、小陰である。負債は、貸借から見ると陰で、損益から見ると陰である。故に、太陰である。収益は、貸借から見ると陰で、損益から見ると陽である。故に、小陽である。
資産、負債、収益、費用を働きの正反に依って更に、八つに区分し、乾坤震巽坎離艮兌とする。
収益の正の働きは、陰である。収益の動きは、不透明で、判然としない。不確実で、流動的で柔軟であり、裏で働く。故に、収益は陰である。また、収益は、根本的に受けである。
逆に、費用の働きは、陽である。費用は、堅い上に固定的であり、確実に表で作用する。故に、陽である。つまり、収益は、虚で、費用は実である。
利益は、幻である。資本主義とは、幻を追う経済なのである。
現代経済は、陽の力が強すぎる。故に、乱れるのである。
陰陽を以て経済の易を立てる際、先ず、天地人の配置を明らかにする。次ぎ、外卦を上卦とし、内卦を下卦とする。
天地人とは、天の時、地の利、人の和を言う。つまり、天は、時間、時代、地は、物質的空間、人は、自己の内的空間を言う。或いは、天は、世界、又は、外界、地は、国内、或いは、内界、人は、人間関係や組織、体制、或いは、自己である。時の価値は、貨幣によって生じる。
企業で言えば、天は、市場、地は会社内部、会計、人は、人材も組織を言う。
天は、美醜を以て判断し、地は、真偽を以て識別する。人は、善悪を以て診る。真善美一如。
経済の易を立てるに際、天を顕すのは、世界経済の状況、経常収支、原油の動向、為替の動向、国際政治動向等をあてる。また、地は、経済の成長率、物価上昇率、生産力、市場の状況、財政、外貨準備高などである。人は、人口、個人所得、体制、指導者の性格、組織、政策、計画性などである。
人を分析するのに、量的な要素と質的な要素がある。量的な要素は、人口や個人所得などであり、質的な要素は、指導者の性格や体制である。
量的な要素は、陽であり、質的な要素は陰である。動的な要素は陽であり、静的な要素は陰である。
企業経営の象と相を診るの際、市場や景気動向は天であり、企業の収支状況は、地であり、経営者の性格や人材、組織は、人である。
何を基準にするかによって見立ても違ってくる。
例えば、陰陽を以て中米関係の象を診る。
中国にとってアメリカ経済は、外卦であるアメリカは基軸通貨国であるから天は、陽。地は、財政赤字で陰。人は、個人消費が下降し陰。即ち、アメリカは、中国から見て艮の卦。
内卦は、世界経済は、縮小傾向にあるため、天は、陰。地は、中国経済は、引き続き拡大しているから陽。人は、個人所得が上昇し、消費が拡大しているから陽。即ち、陰陽陽の兌の卦。
中国にとってアメリカ経済は、艮上兌下の卦で損。
中国にとって損といっても中国に悪い卦ではない。
中国は、外に私心を去って動ぜず(艮山)内に、悦んで修養努力(兌澤)する。忿りを懲らして、よくを塞げである。損はそのまま天理より見れば益である。動(震雷)いて従う(巽風)の象、上より下に下る。損が極まれば必ず益す。(「易學入門」安岡正篤著 明徳出版社)
アメリカから見て中米経済の外卦である、中国は、経常収支は、黒字で、天は、陽、アメリカに対して中国は、輸出拠点であるから地は、陽。体制は、統制的であるから人は、陰。巽の卦。
内卦は、アメリカ経済だから経常収支は、赤字で、即ち、天は陰。財政は、赤字で炎上しているから、地は陰。国家体制は、民主的であるから人は陽。つまり、陰陰陽の震の卦。アメリカにとって中国経済は、巽上震下の卦で益。
アメリカにとって益と行っても必ずしも良い卦ではない。
君子以見善即遷。有過即改。
子曰、倣於利而行、多怨。(「論語」里人)
莫益之。或撃之。立心恒勿。凶。
アメリカは、益して已まねば必ず決(き)り開かぬばならぬ。故に益を受けるに夬を以てする。巽風の卦は、其の究めは燥卦である。よくよく戒める必要がある。
金融資本は、虚であり、陰である。資本取引は虚であり陰である。現在のアメリカ経済は金融に支配されている。故に、虚である。
金は、虚である。金(金融)に支配された世界は虚しい。また、危うい。
会計を構成する要素、元素は、資産、負債、資本、収益、費用である。
資産、負債、資本、収益、費用を五行に置き換えると資産は、木で、費用は火、負債が金で、資本は土であり、収益は、水である。
簿記上の取引には、第一に、資産(正)と資産(反)(木と木)。第二に、資産(正)と負債(正)(木と金)。第三に、資産(正)と資本(正)(木と土)。第四に、資産(正)と収益(正)(木と水)。第五に、負債(反)と資産(反)。第六に、負債(反)と負債(正)(金と金)。第七に、負債(反)と資本(正)(金と土)。第八に、負債(反)と収益(正)(金と水)。第九に、資本(反)と資産(反)(土と木)。第十に、資本(反)と負債(正)(土と金)。第十一に資本(反)と資本(正)(土と土)。第十二に、資本(反)と収益(土と水)。第十三に、費用(正)と資産(反)(火と木)。第十四に、費用(正)と負債(正)(火と金)。第十五に、費用(正)と資本(正)(火と土)がある。
要素と要素の関係、元素と元素の関係、即ち、結びつきや関連が問題となる。結びつきと力関係によって方向が定まる。
水は潤下し、火は炎上し、木は曲直し、金は、従革(じゅうかく)し、土は、稼しょく(かしょく)する。水には、潤す作用があり、火には燃え上がる作用があり、木には、曲直しながら伸びていく働きがあり、金には、変化を促し、適応する作用があり、土には、諸々の物を生み出す力がある。
水は流動的で、火は、発散。木は、伸長、金は、凝固させ、土は弛緩させる。
「お金」の源は、負債である。負債は債務である。債務は陰である。金は、虚である。実は物にある。物は資産である。物は陽である。
金の力が過剰になると市場は虚となり、実体経済が、乱れる。物の力が過剰になると市場は高騰する。
円高になったら物価も安くなるであろうか。円高になって安くなる物と円高になっても変わらない物がある。更にいえば、円高になることで高くなる物もある。
価格の中にも変化する部分と変化しない部分がある。価格の中で変化する部分と変化しない部分は、なぜ生じるのかを知るためには、価格を構成する部分が何に結びついているかを明らかにする必要がある。
円高になって儲かる企業と、儲からない企業がある。円高になっても変わらない企業もある。
円とドルの関係では、円が上がれば、ドルは下がる。元と円の関係では、元が上がれば、円は下がる。円とドルの相場の動向は、円の力によるのか、ドルの力によるのかを見極めなければ理解できない。
変化は、連鎖する。各元素間には、相克(相剋)、相生、相和(比和)、相侮、相乗と言う働きがある。元素は、反目しながら、また、合体し、或いは、再生を繰り返していく。そして、それは、循環、転生の運動の原動力に変じる。上下運動が回転運動に転じ、一次元の運動が二次元の運動に転換される。
一元にして復た始まる。物極まれば必ず返る。
時間には、変化の方向と繰り返しがある。繰り返しは、循環という思想を生む。この循環するという思想を前提とするか、否かは、その後の展開に決定的な影響を及ぼす。
また、運動は一様ではない。循環にも変化がある。諸行無常という考え方がある。万物は流転し、止まることを知らず。同じ現象は二度と起こらない。諸行無常である。諸行は無常であるけれど、それでも現象の背後には、一定の摂理が潜んでいる。それがダルマである。
歴史は、繰り返すのであって、時間は、一定方向にただ流れ続けているのではなく。蒸発して天に昇り、雲となり、雨となって自然界を循環している。そこに働いている自然の法則は一定である。故に、自然を観測し、法則を見出せば、物体の動き、変化を予測することが可能となる。
取引には、相克する取引と協調する取引がある。引き合う取引と排斥し合う取引がある。加算される要素と引かれる要素がある。同調する取引と反目する取引がある。
一つの方向の作用には、必ず反対方向の作用が働く。一つの方向の取引には、逆方向の取引が存在する。債権が生じれば、債務が生じる。債権と債務は、同量の貨幣価値によって表現され、実現する。それが現金価値である。
相生とは、一つの元素から他の元素が生み出す働きである。
木から火が生じ。火から土が生じ。土から金が生じ。金から水が生じる。
資産から費用が生じ。費用から資本(利益)が生じ。利益から金が生じ。金から収益が生じる。
資産が費用に転化するのは、費用性資産、即ち、償却資産である。この償却資産の活用によって資本が生じる。資本をファイナンスする事から収益を向上を計るのである。
費用が資本の母体となるのは、費用性資産が資本に根を張るからである。
資本が金、即ち、負債を侵すというのは、レバレッジによって資本が借入の素となるからである。資本と借入は一族である。資本と負債が金融を生み出す。借入は、虚である。金融資本は、虚である。
資産から費用が生じる取引は、資産が減で費用が増であるから貸方費用、借方資産と仕訳される。
費用から資本が生じる取引は、費用性資産の減で資本の増であるから、貸方、費用性資産、借方資本と仕訳される。
資本から負債が生じる取引は、資本が減で、負債が増であるから貸方資本、借方負債で仕訳される。
負債から収益が生じる取引は、負債が減で収益が増であるから貸方負債、借方収益に仕訳される。
収益から資産が生じる取引は、収益が減で、資産が増であるから、貸方資産、借方収益である。
相剋とは、元素が他の元素を抑制する働きである。
木は、土に克ち。土は水に克ち。水は、火に克ち。火は金に克ち。金は木にかつ。
資産は、資本に克ち。資本は、収益に克ち。収益は、費用に克ち。費用は、負債に克ち。負債は、資産に克つ。
相和、比和とは、同じ力が重なると力が過剰になることを意味する。
相和の取引は、貸方資産、借方資産。貸方負債、借方負債。貸方資本、借方資本の取引である。
ヘッジ取引は、反対取引を旨とするが、同じ方向の取引をすれば利益もリスクも増殖させられる。それが良いか、悪いかは、別の問題である。決断は、自分の意志の問題である。
相侮とは、元素の力が強すぎることによって他の元素の制約を受け付けなくなることである。
木侮金。木が強すぎると金の克制を受け付けずに、木が金を侮る。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)資産の力が強すぎると負債の力を侮る。バブルが好例である。
金侮火。金が強すぎると火の克制を受け付けずに、逆に、金が火を侮る。負債の力が強い時は、負債は、金利に制約されずに金利の力を負債が侮る。
火侮水。火の力が強すぎると水の克制を受け付けずに、火が水を侮る。費用の力が強すぎると収益による制約を受け付けずに、収益を費用が侮る。財政赤字が典型である。収益より費用が多すぎるのである。
水侮土。水の力が強すぎると土の克制を受け付けずに、水が土を侮る。収益力が強すぎると資本の制約を受け付けずに収益が資本を侮る。
土侮木。土の力が強すぎると木の克制を受け付けずに、土が木を侮る。資本の力が強すぎると資産の制約を資本が受け付けずに、資本が資産を侮る。
火虚金侮。火自身が弱いため、金を克制することができず、逆に金が火を侮る。
費用を掛けただけの効果が得られず、金融機関に侮られ、資金繰りに追われる。
水虚火侮。水自身が弱いため、火を克制することができず、逆に火が水を侮る。
収益力が弱いために、費用を抑えられず。費用に収益が侮られる。
儲からないためにかえって費用がかかる。
土虚水侮。土自身が弱いため、水を克制することができず、逆に水が土を侮る。
資本力が弱くて、収益を制御する事ができず。収益に資本が侮られる。
木虚土侮。木自身が弱いため、土を克制することができず、逆に土が木を侮る。
資産力が弱いために、資本を抑えられず。資本に資産が侮られる。
金虚木侮。金自身が弱いため、木を克制することができず、逆に木が金を侮る。
資産価値が高騰し、負債を怖れなくなる。負債が、資産に侮られる。バブルが好例である。逆に、資金調達力が弱いために、必要な資産が手に入らない場合もある。
相乗というのは、相手を抑制する力が過剰すぎる場合を言う。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
木乗土。木が強すぎて、土を克し過ぎ、土の形成が不足する。
資産の高騰によって生まれた不良債権によって資本が侵蝕される。現在、金融機関が陥っている状態である。
土乗水。土が強すぎて、水を克し過ぎ、水を過剰に吸収する。
過剰投資によって収益が圧迫される。
水乗火。水が強すぎて、火を克し過ぎ、火を完全に消火する。
収益ばかりを追求し、節約しすぎて必要な費用まで賄えなくなる。
特に、利益を追求しすぎて志気を消沈させる。
火乗金。火が強すぎて、金を克し過ぎ、金を完全に熔解する。
費用がかかりすぎて借入が過多になり、借金によって勢いが塞がれる。
金乗木。金が強すぎて、木を克し過ぎ、木を完全に切り倒す。
借入金が過剰なため資産を売って返済に充てなければならない。
土虚木乗。土自身が弱いため、木剋土の力が相対的に強まって、土がさらに弱められることである。
資本力がないために、設備投資や設備の更新ができず資産内容が劣化する。
水虚土乗。水自身が弱いため、土剋水の力が相対的に強まって、水がさらに弱められることである。
収益力がないために、資本取引に翻弄され、最悪の場合、外部資本に狙われる。
火虚水乗。火自身が弱いため、水剋火の力が相対的に強まって、火がさらに弱められることである。
費用がかかりすぎるために、収益に負担がかかり、費用を更にかけなければならなくなる。
金虚火乗。金自身が弱いため、火剋金の力が相対的に強まって、金がさらに弱められること。
借入が多いために、費用の負担が増え。資金調達力が更に弱まる。
木虚金乗。木自身が弱いため、金剋木の力が相対的に強まって、木がさらに弱められ、朽ちること。
不良債権によって新たな借入ができずに、新規投資ができず、じり貧になる。或いは、不良債権によって優良な債権が活用できず、また、手放さなければならない。
斥力、引力の力の平衡によって変化の方向が決まる。斥力、引力いずれが正しいか、過ちかではなく。進むべき方向はいずれかが重要なのである。進むべき方向を定めるのは人間である。最後は、人間の意志である。
指導者には、木徳の指導者、火徳の指導者、土徳の指導者、金徳の指導者、水徳の指導者がいる。
木徳の指導者は、資源、資産を遣り繰りして資金、費用を捻出する。
火徳の指導者は、資金を投資して発展、向上される。
土徳の指導者は、人を適材適所に配置して体制を整える。
金徳の指導者は、負債を整理し、財務内容を改善する。
水徳の指導者は、収支の均衡をよくし、資産を蓄え、次の成長を準備する。
木徳の指導者から火徳の指導者へ、土徳の指導者から、金徳の指導者へ、金徳の指導者から水徳の指導者へと指導者が交代していく事が一つの理想の象である。
市場の規律は、仁義礼智信の働きによって保たれる。
変化の本源は、天地人にある。天の時、地の利、人の和、即ち、時間と人関係と物理的空間にある。その変化の兆しをいち早く察知することである。
損益も陰陽である。陰陽は均衡のとれた状態を良しとするのである。大切なのは調和である。
損益も同様である。収益は過剰でもいけない。損が必ずしも悪いとは限らない。ただ、利益だけを追い求めるから世の中は、循環しなくなるのである。
出す物があれば、入る物もある。入る金があれば、出る金もある。去る者がいれば来る物もいる。ただ、その根源は一元である。
経済対策は、扶正(ふせい)、去邪(きょじゃ)である。
経済の病気の原因には、外因と内因、不内外因の三つがある。外因には、風寒暑湿燥火の六邪がある。内因には、喜怒憂思悲恐驚の七情がある。不内外因には、労逸、五労、飲食失節、外傷、物や金の巡りの悪さがある。
労逸には、労力過度、心労過度、房事過度、安逸過度がある。
経済には流れがある。経済の流れには、人の流れ、物の流れ、金の流れがある。この人物金の流れが滞ると経済は病に陥る。
金の流れの反対方向に物の流れが生じる。金の流れは、虚である。物の流れが実である。金の流れが滞り、滞留すると虚の力、陰の力が強くなる。物の流れが滞り、滞留すると実の力、陽の力が強くなる。陽の力が過剰になると市場は膨張し、陰の力が強まると市場は収縮する。
体には、流れがある。経済主体には、人の流れ、物の流れ、金の流れ、情報の流れがある。そして、流れは、経絡を作る。その経絡の上に経穴がある。この経絡、経穴を掴んで、人の流れ、物の流れ、金の流れ、情報の流れを円滑にすることが経済の働きを良くする事である。
人間の病は、邪気と正気の戦いである。社会、経済の戦いも同じである。邪気と正気の戦いである。即ち、邪正盛衰である。
正とは、人の流れ、物の流れ、金の流れを円滑にする働きである。邪とは、人の流れ、物の流れ、金の流れを妨げる働きである。
実証、虚証をよく見極める必要がある。
その上で正を補佐し、邪を取り去ることが経済の健康を維持することに繋がる。
参考
「易學入門」安岡正篤著 明徳出版社
「易経講座」安岡正篤著 致知出版社
「まんが易経入門」周 春才 作画 鈴木 博訳 医道の日本社
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