中国と思想
真の個人主義を完成できるのは、中国以外にない。
真の自由主義を完成できるのは、中国以外にない。
真の民主主義を完成できるのは、中国以外にない。
なぜならば、欧米思想には、自己がないからである。
欧米では、自己がないから個人主義が発達した。これは、窮めて逆説的であるが、真実である。
自己という思想がないから、欧米では、自己を個人に置き換えて外形的に捉えたのである。即ち、個人とは、自己を客体化した存在である。自己を客体化したから客観主義であり、自己を外形化したから唯物論になるのである。
しかし、自己がないから、その内面的な支柱を信仰に求めざるを得ない。
信仰も、又、外からの強制に他ならない。
個人主義、自由主義、民主主義は内面からの自制によって始めて成る。
中国の思想の中心は自己である。
中国の思想の根本には仁があり、礼がある。又、忠と孝がある。
この仁義礼智忠信孝悌があって個人主義、自由主義、民主主義は成り立つ。
個人主義の根本は仁である。自由の根本は、克己心である。民主主義の根本は礼である。故に、個人主義、自由主義、民主主義を完成しうるのは、中国以外にないのである。
自己に対する認識には、二つの見方がある。一つは、内面的な方向から自己を精神的な存在として捉える見方である。今一つは、外形的方向から自己を物質的な存在として捉える見方である。前者が道徳的存在として自己を捉え、後者が、一個の個人として自己を捉える見方である。この二つの認識が一体となった時、真の個人主義は完成する。
中国を陰とし、西洋を陽とす。陰陽一体となった時、世界の太極は定まる。
中国の思想を体とするなら、西洋の思想は用となる。
民を主として忠を尽くす。
中国が欧米の思想を取り入れるにしても中国の伝統的思想を土台として取り入れないと大変なことになる。中国は、無秩序で混沌とした社会に陥り、やがては無政府主義に汚染されることになる。
中国思想には、近代思想よりも十倍、二十倍の一貫した歴史がある。
道徳なき者が栄える世界は、やがては滅びる。
日本人は、もっと中国の文化に敬意を払う必要がある。
中国の文化は、広く、奥が深い。単に、中国の古典を理解しただけでは、中国を理解したことにはならない。道教や風水、神話、民話、死生観、祖廟崇拝、詩や文学、京劇、拳法、漢方医学、漢字と言った中国の民衆に根ざしたところにこそ中国の本質は隠されている。
心から相手のことを理解しようとしないで、自分達の主張ばかり押し付けようとすれば、心を開くことはできない。恥ずかしいことだが、私も、中国の人々の宗教や生活信条を理解しようとする努力に欠けていたと思う。その最も最たるものが、民間信仰である。
中国の人々の生活の中に息づく信仰こそ最も人々の心を表している。
なぜ、キリスト教やイスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教、神道を宗教としながら、道教や中国人の民間宗教を認めないのか、中には、中国人を無神論者のような言う者もいる。私は、悪意すら感じる。中国人は、信仰心の篤い民族である。
大切なのは、中国の魂である。東洋精神の源である。
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